月の満ち欠けのように

湘南ケアカレッジを立ち上げるまでの10年間と立ち上げてからの5年間、いわゆるビジネス本というものを読み漁っていました。マーケティングから経営戦略、チーム論、コーチング、自己啓発などなど、あらゆるジャンルのビジネス書を真剣に読みました。ほとんどの本は何の役にも立ちませんでしたが、中には素晴らしい内容のものがあり、私の考え方を大きく変えてくれたものもあります。自分ごととして本を読むと楽しいですし、知ることで世界は変わっていきますし、何と言っても自由になれます。

 

ところが、数年前から(厳密に言うと2020年ぐらいから)、ビジネス書にほとんど興味が湧かなくなりました。湘南ケアカレッジがある程度ビジネスとして完成されてきたという理由もあると思いますが、やはり書いてあることで目新しいことがなくなったというのが最大の理由だと思います。新しい本も結局、昔の本と同じようなことを手を変え品を変えて書かれているだけで、既視感があるのです。細かいところで学ぶべきはまだあるのでしょうが、大枠は分かったということです。

そんなこともあって、最近は小説を読んでいます。学生の頃は小説ばかりを読んでいたので、昔に戻ったということですかね。今読んでいるのは「月の満ち欠け」という佐藤正午さんによって書かれた、人間の生まれ変わりにまつわる不思議な物語です。実は「月の満ち欠け」は映画化されており、そちらを先に観ました。人は生まれ変わるのかとか、前世があるのかと考え始めたらきりがありませんし、そんなことはあり得ないと頭で考えてしまうと楽しめない内容ですが、頭を柔らかくして観ると素敵な作品でした。「月の満ち欠け」とは、月が満ちたり欠けたりするように、人は姿を消したり現れたり、亡くなったり生まれ変わったりするというテーマの比喩ですね。

 

 

そもそも生まれ変わりってあるのでしょうか。日本ではあまり馴染のない前世という考え方も私には興味深かったです。少し昔の私であれば、そんなことはあり得ない、人は土に還るだけと割り切ったはずです。物理的にはそうであったとしても、精神的や思想的にはどうでしょうか。たとえば、私の甥っ子が僧侶になるためにタイに修行に行ったときの話を聞かせてくれた中で、タイの人たちは心の底から生まれ変わりを信じているので、もし何らかの事故や病気で死んでしまっても、生まれ変わるからと考えて、それほど深く受け止めないというのです。生と死の境界線があいまいなのです。そうすることで死の苦しみや痛みを受け流している面もあるのだと思いますが、考え方として私は共感できるところがあります。

 

評論家の小林秀雄が「魂はあるのかないのか?」という学生の質問に対して、「あるに決まっているじゃないか」と即答したのは有名な話です。小林秀雄の母が亡くなった数日後、悲嘆に暮れていた小林は妙な経験をしました。小林の家の前の道に沿って小川が流れていて、夕暮れに門を出ると、行く手に蛍が一匹飛んでいるのが見えました。その年に初めて見る蛍であり、今までに見たこともないような大きな蛍で見事に光っていました。おっかさん(小林は母のことをこう呼んだ)は、今は蛍になっている。小林はそう思ったそうです。蛍の跳ぶ後ろを歩きながら、その考えから逃れることができなかったといいます。

 

前世はあるかもしれない、生まれ変わりもあるかもしれない、魂はあるかもしれない、と考えることができる方が豊かなのではないかと私は思います。私たちには分かっていないことの方が多く、分からないことの方が多いのです。分からないことは想像するしかありません。どんな仕事でも基本的な技術や考え方があり、それを身に付けることは大切ですが、そこから先は想像力が問われるのです。できるだけ豊かな想像力を持って臨みたいですね。