心の距離感

湘南ケアカレッジの「介護職員初任者研修」は満員になってしまうことが多いため、ひとつの長机に3名で座って頂いています。左右にひとりずつ、そして真ん中にひとり。最初のうちは、ちょっと狭いかなと思われるかもしれませんが、5日目、6日目ぐらいになると次第に気にならなくなります。そこから最終日(15日目)までは、そんなことなど気にもかけず、どちらかというとあえて隣の席に座ったりするようになるのです。なぜかというと、生徒さん同士の心の距離が縮まってくるから。

先日、人と人との距離感について、サモアのバスの話を書きました。その国の文化や考え方によって他人との距離感は異なるという話です。私たち日本人がサモアの人々と同じような距離感を持つのは正直難しいと思いますが、介護の場面における利用者と介護者の距離は45cm~120cmと私たちが普段の生活を送る上でのそれよりも少し近い。身体的な介護が必要な場合は、それよりもさらに接近することもあり、人と人の距離感が近い仕事と書きました。

 

だからこそ、日ごろからの信頼関係やコミュニケーションがより大切になってくるのですが、それは心の距離がとても重要になるからです。文化や状況によって距離感が異なるように、心の距離感によっても身体的な距離感が違ってくるのです。分かりやすく言うと、見知らぬ人同士が隣合って、もしくは密着して座ると違和感があるのに対し、仲が良い友人や恋人同士であれば何ら問題はありません。むしろ自然であり、距離を置いて座る方がかえって不自然な気がします。つまり、同じ距離でも、相手との心の距離感によって、近いと感じたり、遠いと感じたりするということです。

 

心の距離感を縮めるコミュニケーションのひとつとして、ちょっとした声掛けがあります。私が旅行でアメリカに行ったとき、とても良いと思ったのが、アメリカの人々のちょっとしたひと言です。いくらアメリカが広い国だとはいえ、やはり都市には人が溢れているので、電車やバスの中、または混み入ってしまう道などが存在します。どうしても身体的な接触が避けられない状況において、彼ら彼女らは「Excuse me(失礼します)」と必ずひと言、声を掛けるのです。これはほぼ例外なくどんなアメリカ人でもそうしていましたから、行動の様式として深く定着しているのだと思います。

 

同じぶつかってしまう、身体が触れてしまうのであっても、このひと言があるかどうかで受け手の感じ方は違ってきます。無言でぶつかられたり、こすられたりすると、どんな人でもイラッとくるのは当然だと思いますが、たったひと言あるだけで、まあこれだけ混んでいる空間だったら仕方ないよなと受け入れることができるのだから不思議です。日本に戻ってきて感じたのは、ちょっとしたひと言がないばかりに、お互いに誤解したり、遠くに感じてしまったりしていることです。日本人の特性だと思うと共に、もったいないとも思うのです。

 

湘南ケアカレッジの「介護職員初任者研修」では、グループワークや実技演習、その他諸々の交流を通して、最初は全く知らない(年齢も性別も社会的背景も全く異なる)者同士だったにもかかわらず、いつの間にか心の距離感が近くなる感覚を体験していただけると思います。そうした場から長く引き離されてしまっている私たちにとって、とても貴重な経験となるはずです。