感動ポルノって?

「24時間テレビ」の裏番組として、NHKEテレが放送した「バリバラ」の企画「検証!障害者×感動の方程式」が話題になりました。健常者が障害者を特別視し、勝手に称賛し、利用して消費することに対する風刺・パロディ番組ですが、個人的には問題提起が浅く(30分という時間が短すぎたのかもしれません)、「24時間テレビ」的なものに対する共感か嫌悪かという二項対立が生まれただけだと感じました。それは番組内で登場した“感動ポルノ”という言葉がひとり歩きしていることからも分かります。

 

“感動ポルノ”の語源はステラ・ヤングさんがTEDで行った「I’m not your inspiration,thank you very much」というスピーチで語った“inspiration porno”です。ステラ・ヤングさんが伝えたかったことが曲解されて伝わってしまっているというか、そもそも論として、ステラ・ヤングさんが言う“inspiration porno”と“感動ポルノ”という日本語訳の間にはニュアンスの違いがあると思います。ステラ・ヤングさんが言うinspirationとは、正確に訳すと「鼓舞」もしくは「励み」です。つまり、健常者の自分よりもハンディキャップを背負っている(と思われている)障害者が頑張っている姿を見て、自分も頑張らなければと鼓舞されたり、励まされたりするという意味です。

 

そこには、他者に刺激を受けて、自ら行動する(しようと思う)という2段階があります。それに対して、感動とは心が動かされること。つまり、単なる受け身であって、そこからの行動はありません。「感動した!」とか「勇気をもらった!」という言葉に浅さを感じてしまう人は、このあたりのニュアンスを微妙に感じ取っているのかもしれません。

 

このあたりのニュアンスの誤解があるため、「24時間テレビ」的なものに対して、“感動ポルノ”というレッテルを貼っただけで終わってしまうのだと思います。それは目に見える障害者の生き様を感動ストーリーに仕立て上げることに対する批判や嫌悪感であって、それ以上でもそれ以下でもありません。行き着く先は、パラリンピックも“感動ポルノ”と叫ぶ風潮ではないでしょうか。

 

結局のところ、感動するかどうかは、それを見た人たちそれぞれの感じ方であり、どちらであっても良いのです。自分に与えられた能力を最大限に生かし、障害を乗り越えていこうとする姿は、健常者であろうが障害者であろうがinspirationを与えてくれると私は思います。ステラ・ヤングさんは障害者を対象にするを否定しますが、私は力いっぱいに生きている他者の姿を見て、鼓舞され、励まされて自分も生きようとするのは人間らしいことだと思います。その対象が、障害者であれ、スポーツ選手であれ、他の動物であってもいいのです。

 

 

大切なことは、行動をすることだと思います。Inspirationを受けることは良いのですが、ただ感動して終わるだけではなく、そこから何らかの行動を起こすことです。それは街頭に立って寄付を募るでも、ボランティア活動に参加してみるでも、介護職員初任者研修を受けるでも(笑)、何でもいいのです。ステラ・ヤングさんはスピーチ内で「障害は社会の方にある」と語ったように、私たちひとり1人が少しずつ行動し、障害者が特別視されることなく普通に生きていける社会、できるだけ障害のない世界に変えていかなければならないのです。