たいまつの火

今年の3月に誕生日のお祝いをしてもらったことをブログに書いたところ、2月土曜日クラスの生徒さんたちが色紙を書いてくださいました。ケアカレが開校して以来、生徒さんたちから誕生日祝いの色紙をいただくことは初めてであり(たぶんこれから先もないでしょう笑)、驚きや嬉しさと共に、なんともすごいクラスだなと思いました。まだこの時点で6回目の授業であり、おそらく私の存在すら知られていない中で、誕生祝いの色紙を書こうと提案してくださった人がいて、勇気を持って周りに声を掛け、それじゃあと協力してくれる方々がいたからこそ、こうして形になったのだと思います。遅ればせながら、この場を借りてお一人ひとりに御礼を言わせてください。本当にありがとうございました。

人を喜ばせるために行動することは簡単ではありません。なぜなら、そこにはアイデアや勇気、時間、能力、お金などが必要だからです。でも、難しいからこそ美しい行為だと私は思います。他人から少しでも多くの時間やお金を奪い、利用しようと手ぐすねを引いている今の社会において、それに抗うように人を喜ばせようとすることは、ともすれば自分が損をしてしまうと感じるかもしれません。でもそうではなく、アイデアも時間も能力もお金も勇気も、全て人を喜ばせるために使うべきなのです。そうすることで、めぐり巡って、自分も豊かになるようになっているのです。

 

 

司馬遼太郎さんが未来の子どもたちに向けて書いた、「世のために尽くした人の一生ほど、美しいものはない」という一文で始まる、「洪庵のたいまつ」という話が私は好きです。江戸時代に生きた蘭方医である緒方洪庵は、診療をしながら、適塾という学校をつくり、福沢諭吉や大村益次郎などというのちの日本を変えた人物を育てました。その洪庵が自分自身と塾生に対しての戒めとしてつくった12条の訓戒があり、その1条にはこう書かれています。

「医者がこの世で生活しているのは、人のためであって自分のためではない。決して有名になろうと思うな。また利益を追おうとするな。ただただ自分をすてよ。そして人を救うことだけを考えよ」

こんな考え方は古臭いとバカにされるかもしれませんし、医者だけに当てはまる倫理観だと思われるかもしれませんが、私は現代を生きる誰にとっても大切な考え方だと思います。決してストイックに生きよという意味ではなく、幸せになろうと思うならば、まずは人を喜ばせようということです。人を利用しようと思えば利用されますし、与えられるばかりでは自分が成長しません。たとえばお金のように、その場でのやりとりが生まれるわけではなく、目に見えにくいのですが、10年ぐらいのスパンで考えると、与えれば何らかの形で帰ってくるのです。分かりにくく、見えない人には見えないだけの話です。

 

 

「洪庵のたいまつ」は最後にこう締めくくられています。

振り返ってみると、洪庵の一生で、最も楽しかったのは、かれが塾生たちを教育していた時代だったろう。洪庵は、自分の恩師たちから引き継いだたいまつの火を、よりいっそう大きくした人であった。かれの偉大さは、自分の火を、弟子たちの一人一人に移し続けたことである。弟子たちのたいまつの火は、後にそれぞれの分野であかあかとかがやいた。やがてはその火の群が、日本の近代を照らす大きな明かりになったのである。後生のわたしたちは、洪庵に感謝しなければならない。

湘南ケアカレッジは適塾のような学校でありたいと思っています。たいまつの火を、ひとり1人の生徒さんたちに移し続けていきたい。その火は、私たちから生徒さんたちへの一方通行ではなく、めぐり巡って私たちにも戻ってくる。ひとり1人の心に灯った火はなかなか消えることはなく、それぞれが現場で活躍することで、より大きな火となり、明々と輝き、人から人へと移ってゆく。そして、いつの日か、その火の群れが私たちの社会を照らす大きな明かりになるのです。