自分には見えていない世界がある

今年は例年以上にお菓子の山ができました。介護福祉士の試験に合格した方、介護職員初任者研修がとても楽しくて感動した方、働きやすい介護の仕事を丁寧に紹介してもらって感謝している方など、多くの卒業生さんたちが教室に足を運んでくれて、先生方やスタッフの皆さまに食べてほしいと御礼のお菓子を持ってきてくれたのです。今年もありがとうの気持ちに包まれて嬉しく思いますし、先生方や影山さんには感謝します。令和の時代になっても、人にありがとうと言ってもらえる仕事をしていきたいと願います。

 

ところで、先月、介護福祉士の合格の報告をしに、初任者研修で同じクラスだった卒業生さん2人が遊びに来てくれました。私を含めて3人でランチをしたとき、「備品はギリギリになってから補充するタイプ?それとも少しでも足りなくなっていたら補充するタイプ?」という話で盛り上がりました。

 

ひとりの卒業生さんは、少しでも使われているのに気づいたら補充するタイプで、もうひとりの卒業生さんは全てなくなってしまうギリギリまで待ってから一気に補充するタイプ。「最近はタイプが違うからと思うようにしている」と前者の卒業生さんはあきらめたような顔で語り、「でも結局、僕ばかりが補充しているのですよね」と笑っていました。備品の補充に関して以外にも、他の職員の働きぶりを見て、もっと仕事しようよと思うことも多いそうです。

 

そんな話をしながら、私は家庭の中における犬の排泄の後始末のことを思い起こしました。うちの犬(トイプードル)は綺麗好きなのか、おしっこマットが少しでも汚れていると別の場所(床や柱)にしてしまうので、おしっこマットが汚れているのを見たらすぐに交換しなければ大変なことになってしまいます。私は家に帰るとまず、2か所あるおしっこマットの点検をするのが習慣になっています。ただ単純にそこが気になるのですが、うちの妻は全くノータッチです。最初は、それぐらいはあなたがやりなさいというメッセージだと思っていましたし、同じように床の掃除機がけも私の役割だと思っていました。

 

ところが昨年末、オーストラリアから1週間ぶりに自宅に戻ってきたとき、私は驚きました。私が家を出たときと全く変わらない状態で、おしっこマットは替えられていないようで、そこには凄惨な光景が広がっていたのです。このとき気がついたのは、これは私に役割として与えられているとかそういうことではなくて、妻には床やおしっこマットの汚れが目に入っていないのだということ。そして、私はたまたまそこに目が行くのだということです。

 

おそらく私の何十倍も家のことを見ている妻でも見えないところがあるということは、妻から見れば、私は恐ろしく何も見えていないと映っているはずです。私は自分が見えている世界だけで、妻の見えていない部分が気になっていたのですが、逆から見れば、私に見えていない世界はたくさんあるのでしょう。見えないのだから、見えていないことにも気づきようがないのですが、見えていない世界があることだけでも知っておくべきだと思いました。

 

 

自分には見えているけど相手には見えていない世界があるということは、相手には見えているけれど自分には見えていない世界があるということでもあります。それは仕事においても、日常生活においても、私たちが生きていくこの世界のどこにでも存在する真理です。私たちはまずそのことを知ることからスタートして、できる限り自分の視野を広げることに力を尽くし、それでも自分には見えていない世界があるということを謙虚に受け止めるべきなのでしょう。そうすれば、偉そうになることもなく、むしろ自分が他者によって生かされていることに感謝することができるかもしれません。