心が分断されないように

「自分が感染しているかもと考えて行動を」というメッセージは、裏を返すと「他者は誰もが感染源である(自分が感染させられるかもしれない)」という意味でもあります。両者はセットであり、最初は善意で始まった行動が、いつの間にか他者への不信へとつながっていくのだから不思議です。コロナ騒動のおかげで、本来は過剰であった生産や労働が減り、環境に優しい社会に変化していくことは望ましいのですが、人と人の心が分断されてしまうことはできる限り避けたいものです。

 

何よりも怖いのは、政治家やメディア、専門家に煽られて、人々が不安や恐怖に巻き込まれすぎるあまり、偏見を増長し、差別が起こってしまうことでしょうか。今から70年ほど前、ハンセン病が流行したとき、不治の恐ろしい伝染病とみなされ、患者は偏見の目で見られたばかりではなく、強制的に隔離された歴史があります。結核もそうでしたし、最近ですと東日本大震災の放射能とも似たところがありました。時代が違っても、同じようなことは、見えない病気である新型コロナウイルスでも起こり得ます。

 

 

自分以外の他者を不潔な存在としてみなしてしまう過剰さゆえに、外国人というだけで拒否をしたり、くしゃみや咳をしただけで白い目で見られたり、たまたま感染してしまった人を加害者とみなしたりすることはすでに起こっています。誰もが普通に暮らしていれば感染してしまう可能性はあるのです。明日は我が身かもしれません。もしそうなってしまったとき、あなたはどう思うのでしょうか。私たちにできることは、正しい知識と事実に基づく適切な予防策や判断の上で、ウイルスや感染者たちを受け入れることでしょう(もちろん医療的な一定期間の隔離は必要です)。

 

今年のアカデミー賞で外国語映画として初の作品賞に輝いた「パラサイト―半地下の家族」のポン・ジュノ監督は、

 

実際のウイルスや細菌が体内に入るという恐怖以上に、人間の心理が作り出す不安や恐怖の方が大きい。心理的な不安や恐怖に巻き込まれ過ぎると、災害を克服することが難しくなる。今は実際にウイルスが存在しているわけだが、このウイルスをあまり恐れすぎて、過度に反応したりすれば、もっと恐ろしいことが起きる。そこに国家的、人種的な偏見を加えてしまうと、より恐ろしいことが起きる」

 

と述べたそうです。「パラサイト―半地下の家族」は面白くて示唆に富んだ素晴らしい映画でしたが、監督のこのコメントもまた素晴らしいですね。

 

 

無知ゆえの心理的な分断が起こってしまうことこそ、私たちは意識して防がなければならないのです。心の分断を防ぐためには、正しい知識を得ること、自分の頭で考えること、情報の海に溺れないこと、他者を信頼すること、自分のべき論に捉われないことです。介護にたずさわる私たちは、特に感染症に関してきちんと学ぶことは大事です。ウイルスは今年で終息するというよりも、来年も再来年もこの先ずっと続いていくものです。だからこそ、ウイルスによって人々が分断されることなく、ウイルスと共存して生きていく社会を、私たちはつくっていかなければならないのです。