まずは褒め・認めから

3月末から学校がお休みになり、ようやく6月から本格的に再開されるまでの約2カ月間以上にわたって、お子さんがずっと家にいたことでストレスを感じた親は多かったのではないかと想像します。手伝いも勉強もせず、テレビやYouTubeを見たり、ゲームをしてばかりのいい加減な生活をしている我が子の姿を見て、つい小言を言ってみたり、厳しい口調で注意してしまったのは、私だけではないはずです(笑)。

 

 

どれだけ正しいことを言ってみても、左の耳から右耳に抜けてしまうようで、聞く耳を持たないことに苛立ちは増すばかり。そしてさらにきつく当たってしまう。そのような負のスパイラルが、どこの家庭でも繰り返されてきたのではないでしょうか。(子どもがずっと家にいるという)非日常的が日常になってしまうと、日常的にはできていたことができなくなってしまいます。私にとってそのひとつは、「まずは褒め・認めから入る」ことです。

「まずは褒め・認めから入る」とはどういうことかと言うと、何か(ネガティブなことや耳障りなこと)を相手に伝えたい場合は、いきなり本題から入るのではなく、相手にとって良いことや嬉しいことから伝えることです。なぜかというと、ネガティブなことをいきなり伝えると、相手はそれに対して心を閉ざしてしまい、肝心の内容が伝わらないからです。

 

これは私が子どもの教育に携わっていたときに学んだことですが、子どもたちは分かりやすいぐらいに褒め・認めから入らなければ、全く話を聞いてくれません。さらに次も悪いことを言われると構えてしまうので、その人に対して心を開くことはなくなります。自分の伝えたいことを伝えるのがコミュニケーションのひとつであるとすれば、「まずは褒め・認めから入る」はコミュニケーションの初歩ですね。物事には順番があるということです。

 

「まずは褒め・認めから入る」はあくまでもコミュニケーションの方法ですが、本質はそこにはありません。大切なことは、「まずは褒め・認めから入る」ためには、私たちは相手の良いところを見つけなければ(見なければ)ならないことです。他者の悪いことは目につきますし、自分のべき論が狭い人であればあるほど、相手に厳しくすることは簡単です。しかし、正しく伝えるためには、まずは褒め・認めから入らなければならないとすると、意外と難しい(自分は相手の悪いところしか見ていなかった)ことに気づくはずです。相手をどうこう言う前に、自分の視点を変えなければならないのです。

 

忘れないうちに今すぐ伝えなければならないと考えて、ズバッと言ってしまうと、実は伝わったように見えて何も伝わっていないのです。脊髄反射のように、思ったことをそのまま伝えてしまうと、子どもは心を閉ざしてしまいますし、大人はその場はやり過ごしてくれるかもしれませんが、裏でペロッと舌を出しているはずです。最も良くないことは、心を閉ざしてしまった人に対しては、相手の良いところも悪いところも伝えなくなってしまうのです。本音のコミュニケーションはしてくれなくなるということです。

 

 

言われているうちが花という言葉がありますが、あなたが誰からも何も言われなくなったのは、間違っていないわけでも正しいわけでもなく、感情的であると思われて、まともにコミュニケーションが取れない人だとあきらめられてしまったのかもしれません。私はそうなってしまうことが何よりも怖いので、まずは自分の子どもに対して、褒め・認めから入ることを改めて気をつけていきたいなと考えています。皆さんもご家庭や職場でぜひやってみてください。