本を読む時間

最近、本を読む時間がめっきり少なくなってしまいました。忙しくなったというよりは、ただ単に本を読んでいないのです。ツイッターやYouTube(動画)などのインターネット、そしてテレビや新聞など、情報を得る手段は本以外にもあるにはあります。テレビや新聞、インターネットニュースなどのマスメディアは偏向報道すぎて役に立ちませんが、SNSはあらゆる意見や考え方が知れて、情報収集ツールとしては重宝しています。そういうことではなく、本を読む時間の中にある、考えることが大切なのです。もしかすると、手に入れた知識の量ではなく、考えた時間こそが、私たちを本当の意味で知的に豊かにしてくれるのではないでしょうか。本を読むことにはそうした力がたしかにあると私は思います。

 

ということで、本を読むことを改めて始めようと思い立ち、1日1時間の読書をスケジュールのどこかに組み込むことにしました。どのようなことでも、66日間続けると習慣になり、それをしないとかえって気持ち悪くなるところまで定着すればあとは楽になります。自転車も漕ぎ出す時が最もパワーを要しますが、スピードに乗るとあとは慣性でそのまま走ることができるように、まず66日間は踏ん張って、習慣化するところまで持っていきたいです。その記録として、1冊のノートの1ページに、読んだ本の内容で良かった箇所を書き出してまとめてみることにします。

 

実は今から25年ぐらい前に、職場の上司から勧められてノートをつけ始め、1冊目のノートを使い切り、2冊目に入ったところで終わってしまっていたものが残っていました。思えばこの頃が、最もあらゆるジャンルの知識を吸収し、自分の精神世界が広がっていく苗植えをしていた時期でした。そのノートの続きから、四半世紀ぶりに始めてみたいと思います。

 

インプットが少なくもしくはなくなってしまうと、アウトプットは出づらくなり、質も低下していくことになります。とにかく大量のそして良質のインプットがあればあるほど、琴線に触れたり、刺激を受けたりすることで閃きも多くなり、泉のようにアウトプットがあふれ出るはずです。それから、自分の専門分野以外の世界を知ることも大切です。なぜなら、この世の中は全てがつながっていて、Aを学ぶことが実はBも学ぶことになるなんてザラにありますし、また逆にAで学んだ視点でBを見ることで今まで見えなかった世界が見えてくることもあるのです。文章を書く中でも、ある種の飛躍があった方が読者は面白い。根底ではつながっているのだけど、全く違う世界に話が飛躍して戻ってくると、その文章には奥行きや深さが出るはずです。その奥行きや深さをつくるためにも、書き手は意識して自分の専門とは異なる、あらゆるジャンルの本を読まなければならないのです。

 

 

最後は物書きのような文章になってしまいましたが、私は書くことによってこれまで生きてきたと思っていますし、これからもそうするつもりです。そのためには、書くことの土台になる読むことをおろそかにしてはいけないと思うのです。1日1時間も読書ができるのか正直自信はありませんが、読んだ本について、介護に関する内容に関してはこちらのブログでも共有させていただきますね。