最も大切なものは自由

日本のマスコミではあまり大きく報じられませんでしたが、昨年11月末から12月頭にかけて、ゼロコロナ政策に対してのデモが中国全土で起こりました。毎日のようにPCR検査をさせられ、ひとりでも陽性者が出るとその区域は即座にロックダウンとなり、下手をするとその時その場にいた人たちと数週間も共同生活を強いられることもざらにあったそうです。自分のマンションの部屋にいれたとしても、外に出られないように外から鍵をかけられたり、入口を封鎖されたりして閉じ込められる。いつ解放されるか分からない中、気を病んだり、絶望してマンションから飛び降りたりする人も多くいました。もうすでにこの3年間にわたり、私たちにはとても想像できないレベルで、国家による市民の軟禁や行動制限が公然と行われてきたのです。

 

他人事のように思う人もいるかもしれませんが、公衆衛生の名の下に国家が民衆の行動を制限しようとする流れは、どこの国々においても、大小の差こそあれ、形を変えて、コロナ騒動以降ずっとありました。中国は分かりやすい形であり、日本はマイルドなので気づきにくいだけですが、私たちの生活は3年前と比べて大きく変わってしまっているはずです。人込みを避けて遠出をするのを控えたり、友人知人と会わなくなったり、飲み会はもちろん外食もほとんどしなくなった人は意外と多いはずです。ワールドカップは大丈夫なのに、日本国内のスポーツ観戦は屋外にもかかわらずマスクを着用・声出し禁止という行動制限がまかりとおっています。介護の現場においても、なぜか家族は面会ができなくなってしまったり、利用者の外出の機会もほぼ失われてしまいました。まずは社会的弱者から、自由は奪われていくものです。

 

そうした大きな行動制限から、鈍感に過ごしていると気づかないような小さな制限まで、私たちの自由は少しずつ失われつつあるのです。今だけ、少しの辛抱だと思っている人もいるかもしれませんが、もう4年目を迎えようとしていますよ。小さなところから抵抗しないと、この流れは今後加速していく可能性が高いです。人類の歴史は、自由を獲得するための闘いと言っても過言ではないのですが、ようやく手に入れて、ここ数十年の間、謳歌してきた自由を私たちは手放そうとしているのです。大げさだと思われるかもしれませんが、数年後の日本を見てから思い出してもらえれば、私の伝えたかったことが分かるはずです。

 

 

これからの世界で最も大切なものは自由になると思います。お金はたくさん持っていても、自由がないという人も増えるでしょうし、自由がなければ人間らしい生き方はできないことに多くの人が気づき始めるのではないでしょうか。自由を手に入れるのは難しく、手放すのは一瞬であり、気づいたときには時すでに遅し。失って初めて、当たり前にあった自由の大切さに気づくはずです。そして、お金でも名誉でも地位でもなく、人間が人間として生きるためには自由が必要であり、自由を切望するようになります。信教の自由、学問の自由、思想の自由、言論の自由、集会の自由、結社の自由、職業選択の自由、居住・移転の自由など、お金を払っても自由を得られない時代が来るかもしれません。そんな時代に備えて、私たちは自分にとって最低限の自由を得られる準備をしておかなければならないのです。