私の机の上にあるもの、これなんだと思いますか?新型のマウスパッドではありません(笑)。実はこれ、6歳になる息子からもらったハンカチなのです。私の誕生日プレゼントとして、自らの手でつくってくれたものです。布を重ね、針と糸を使って縫い合わせたそうです。そんなことまで出来るようになったのかと驚きつつ、心温まるプレゼントに感激しました。そして、もったいないと思いつつ、せっかくなので使ってみたところ、やや小さかったけど、ハンカチとして立派に機能してくれました。ありがとう。とても嬉しいです。
「親が死ぬまでにしたい55のこと」の中に登場した、ひとつのエピソードを思い出してしまいました。父親が亡くなったあと、机の引き出しを整理していると、小さい頃にプレゼントした肩たたき券が出てきたという話。母親に聞いてみると、「もったいなくて使えないよ」と父は言って、ずっと大切にしまっていたそうです。やはり子どもからもらうプレゼントは、たとえどんなものであっても、とても大切で、もったいないものなのですね。まあ、私はさっそく使わせてもらいましたけど。
自分が子どもとして、親に何をプレゼントできたかなと考えると、ほとんど思い出せないですね。初めての給料で親を旅行にといった類のこともなく、親に家を買ってあげたなんてこともありません。与えるよりも、与えてもらってばかりです。もちろん、そんなに高価なものでなくとも、手づくりでもいいわけなのですが、いい年になってからの手づくりのプレゼントって案外難しいですよね。
なんて考えてみると、最も大切な親への贈り物は、元気に生きていることだと思います。それは自分が子を持ってみて初めて分かります。とにかく無事で、楽しく、元気に生きていること。それが子どもから親にとっての最高のプレゼントなのです。
糸井重里氏の「ひとつ やくそく」という詩があります。
「ひとつ やくそく」(糸井重里)
おやより さきに しんでは いかん
おやより さきに しんでは いかん
ほかには なんにも いらないけれど
それだけ ひとつ やくそくだ
おやより さきに しんではいかん
この詩は、なぜ自殺をしてはいけないかという問いに対して、あらゆる著名人が答えていた中で、最もしっくりと来たものでした。たとえどんなことがあったとしても、自ら命を絶って、親に先立つことは自分勝手であり、親不孝だということです。私たち誰もがいずれ死を迎えますが、親より先に死んではいかんのです。