ひとつは、当然のことながら、要介護者の増加に伴う高齢者の孤立、老々介護、老々暮らしの問題です。それまではひとり暮らしを普通にしていた人たちも、高齢者になってくると全てをひとりでこなすことが難しくなってきます。食事や洗濯など、日常生活に支障が出てくることがあるでしょうし、それ以外の社会的な手続き等の問題も発生するかもしれません。夫婦で生活している場合でも、問題の根っこは同じです。お互いに支え合えるだけ良いのですが、それでも簡単なことではないはずです。
もうひとつは、要介護者の増加に伴う、介護者の不足です。介護業界における、絶対的なマンパワー不足が今よりも深刻になります。現在、日本全国には百数十万人の介護職員(ヘルパー)がいますが、10年後の2025年には二百五十万人が必要になるとされています。今のおよそ2倍です。これから労働者の人口(生産年齢人口)が減ってゆく中、しかも人減らし社会と言われる中でも、介護の世界には働き手が2倍必要ということになります。賃金等の解決しなければならない課題はありますが、それでも私たちの力が求められていることは確かなのです。
さらに具体的な話をしてゆくと、認知症の患者が300万人を突破したと報じられているように、これからあなたが認知症の方に接する機会が増えるはずです。自分の身のまわりの身近なところに、認知症の方がいるのが普通という社会です。家族の中に認知症の方がいる、親戚のだれかが認知症になった。隣の家のおばあさんが認知症らしい、といった具合に。それは忌み避けるような病気ではなく、人間が老化していく過程の中にあるものなのです。
私の祖母も認知症を患っており、今は施設に入っています。最近は私の顔を見ても私だと認識してくれなくなってしまいました(私が年を取って老けたということもあるかもしれませんが)。それはそれでとても悲しいことですが、だからといって祖母が祖母でなくなってしまったわけではなく、認知症というのは脳の5%ぐらいの働きが悪くなってしまっただけで、それ以外の95%は今までどおりだそうで、私にとってはいつまでも優しい祖母なわけです。どうやって共に生きてゆくかが大切なのだと思います。
他には、ドキッとする話ですが、死と向き合う機会も増えるはずです。多死の時代といわれる、年間で160万人が亡くなってゆく時代がやってきます。不老不死は幻想でしかありませんから、生まれしきた者がこの世から去ってゆくことは必然です。たくさん生まれてきた時代があれば、たくさん死んでしまう時代もあるということですね。そんな中で、介護者としては死に立ち会う機会が増えるかもしれませんし、そうでなくとも身近な人の死に向き合わざるをえない場面も増えるはずです。そんなとき、私たちはどう考え、どう振舞うべきなのでしょうか。
(続く)