「残り時間ゼロ」を生きる(再掲)

日野原重明先生による、「101歳 私の証 あるがまま行く」という朝日新聞の連載はいつも秀逸でした。

 

「私たちの命が有限であることは、誰もが心得ています。旧約聖書にはこうあります。『人生の年月は70年ほどのものです。健やかな人が80年を数えても得るところは労苦と災いに過ぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります』」

 

という言葉で始まる「残り時間ゼロ」を生きるというコラムは、今でも鮮明に記憶に残っています。その中で、聖路加国際病院の緩和ケア病棟(ホスピス)に入院された70代のご婦人が、大好きなオペラやバレエを最後まで観て亡くなる話を紹介しつつも、実際には「残り時間ゼロ」を望みどおりに生きることが極めて困難であることの現実を目の当たりにしてきたと告白します。日野原重明先生の死生観が心に響きます。

 

私の尊敬するアップルの創業者であるスティーブ・ジョブズ氏は、スタンフォード大学の卒業式のスピーチにて、「死は人類最大の発明である」、「「今日が最後の日だと思って生きれば、いつの日かその通りになる」、「もし今日が最後の1日だとして、今日することをするか?」と自問し、そうではないと思う毎日が続けば、生き方を変えなければならない、と学生たちに向けて語りました。このメッセージはその場にいた学生たちだけではなく、多くの人々の心を打ち、伝説のスピーチとして歴史に残りました。 

 

日野原重明先生もスティーブ・ジョブズ氏も、死を想って生きることの大切さを説いています。死を想う(メメントモリ)というと、日本人の中にはばかげていると考えたり、死そのものを遠ざけようとする圧力が働くことがあります。まるで私たちの生きている世界には死がないとばかりに。確かに、子どもたちに対して死を想えという教育はあまり有効ではないと思いますが、大人になると、自分たちが死に向かっている存在であることを強く意識するべきでしょう。なぜなら、私たちは死を前にしては裸同然であり、もっと私たちを縛っている色々なものを捨てて、より良く生きることができるはずだからです。

                 

以前にも書きましたが、この先、日本には多死の時代が訪れます。年間で160万人ぐらいの方々が亡くなってゆきます。それは私たちとは無縁のところで起こっているのではなく、私たちの周りで起こる出来事になります。もしかすると、私でない誰かではなく、私かもしれません。そんな時代の中では、死を想い、より良く生きることが何よりも重要になってきます。まずは個人レベルで死と向き合うところから始めなければなりません。それができて初めて、死に向かう人、そしてその家族へのグリーフケアに至るのだと思います。

 

介護職員初任者研修には、「死と向き合う人のこころとからだのしくみ、終末期介護」という科目があり、死について考えてもらい、向き合ってもらうお手伝いをさせていただきます。ぜひ真剣に死と向き合ってみてください。そうすることで、あなたのこれからの人生が少しは変わるはずです。