祖父の3回忌

祖父の3回忌に出席するため、週末は岡山県の津山に帰省しました。4月に「介護職員初任者研修」を開講して以来、毎日教室に出ていましたので、私にとっては久しぶりの休暇ということになります。上下に激しく揺れる津山線に乗って、田畑ばかりの風景を左右に見ながら、あの祖父が亡くなってから、あっという間に流れた歳月を思いました。よく考えてみると、祖父は私が湘南ケアカレッジという介護・福祉教育の専門校を立ち上げたことを知らないのです。いや、もしかしたら知っていて、天国で見守ってくれているのかもしれませんが、そのあたりは私にはよく分かりません。

 

日曜日の午前、親戚が一堂に会し、祖父の追善供養はとり行われました。3回忌が終わり、近くの料亭に皆移動したのち、昼食をとりながら、祖父の思い出話をしました。祖父はお酒(特にビール)が大好きで、晩年も友人を連れて近くの飲み屋を飲み歩いていました。祖父が亡くなったのち、私の父が近所を歩いていると、「最近、いらっしゃらないけど、どうかなさったのですか?」とたくさんの飲み屋のママさんから声を掛けられるそうです。私の家族は誰一人としてアルコールを受け付けない体質にもかかわらず、なぜ祖父だけが無類の酒好きだったのか、今でも謎のままです。

 

また、健啖家(けんたんか)でもあり、85歳を超えても、とにかく肉料理などの「滋養があるもの(本人いわく)」が好んで食しました。そのせいか、交通事故に遭ってからはすっかり痩せてしまいましたが、それまでは実に健康で丈夫な身体を誇っていました。私も小さいときから祖父の隣に座らされ、肉を食べろ食べろと言われ、言われるがままに食べていた記憶があります。そして、食後には必ず和菓子か洋菓子などの甘いものを食べるのにも付き合わされました。当時は食事のすぐ後に甘いものを食べることが嫌で嫌で仕方ありませんでしたが、今なぜか食後すぐ甘いものが食べたくなってしまうのは、祖父の遺伝か教育のせいだと思っています(笑)。

 

それから、孫が言うのもなんですが、とにかく我がままな人でした。時には傍若無人と映るほどに我がままで、私にその矛先が向くことはありませんでしたが、祖母や母は辛い思いをしたはずです。ちょっとしたことで祖母を怒鳴りつけたり、身内に厳しく当たる祖父の姿を見て、自分はこうはなりたくないとずっと思っていました。

 

でも、祖父が亡くなってしばらく経ったからか、それとも私自身が少しばかりは成長したからか、そんな祖父の悪態も許せるようになりました。あの時代に生きた男性は、戦争という修羅場を生き抜き、経済成長の波に飲み込まれ、多かれ少なかれそういう傾向があったはずです。それを私たちのメガネだけで見て、悪と判断してしまうのは、あまりにも近視眼的すぎるのかもしれません。その人の生きた時代を生きてみないと、分からないことがたくさんあるはずです。

 

そして何よりも、私自身の中にも、どうしようもなく我がままな部分があります。表に現れてくる形こそ違え、自分勝手で独りよがりな私がいます。祖父の血が私の中にも脈々と流れていて、今となっては、あの我がままさえもが愛おしく思えるのです。