「治りませんように」

北海道の浦河にある、精神障害を抱えた人々が共同して生活する場(べてるの家)を舞台とした「悩む力」の続編です。前作が新参者としてべてるの家を俯瞰した評論だとすれば、今回の作品は、著者自ら浦河の仲間のなかに身をおくことで生まれた、問いかけと答えの中から生まれた当事者のドキュメンタリーに仕上がっています。

 

それにしても、「治りませんように」にというタイトルにはドキッとさせられますね。ただ病気を治そうとする生き方をやめ、病気の中で、それとともに生きることを受け入れる。そうすることで、病気は重い荷物から宝へと姿を変える、というべてるからのメッセージなのです。

それぞれの障害との向き合い方も独特です。たとえば、精神障害のひとつである統合失調症の患者の6、7割には幻聴が現れるといいます。頭の中に、現実にはありえない人の声や音が聞こえ、「死ね」とか「バカ」といった否定的な言葉で人を傷つけ混乱させます。四六時中、1年365日ずっとこんなことを言われたら、ふつうの人ならば頭がおかしくなってしまいますね。

 

これまでの医学では、幻聴を消し去るために、強い薬が大量に処方されてきました。そうすると一時的には幻聴はなくなるのですが、患者は考えることも、ついには動くこともできなくなってしまいます。本人の意識までもが消し去られてしまうのです。そんなことになるぐらいなら、幻聴と上手く付き合えないかと考えたのがべてる流でした。べてるでは、幻聴を「幻聴さん」と呼びます。

 

90年代、「死ねバカ」系の幻聴に、「幻聴さん、きょうはどうかおとなしくしてください」とていねいに対応したところ、「そうか、それじゃあ」と、おとなしくなる幻聴の例が次々に報告されたのである。これが「幻聴さんも成長する」という、浦河の偉大なる発見として広く世に伝えられることになった。

 


このように、精神障害とずっと真剣に向き合ってきたからこその、べてるならではの解決法や考え方が惜しげもなく語られています。頭の中に浮ぶネガティブな思考を「お客さん」と称し、「弱さの情報公開」をすること。また、強迫的な確認行為が起こるのは、「悩んでいるとき」、「疲れているとき」、「ひまなとき」、「さびしいとき」、「お金がない、もしくはおなかがすいた」ときであることを分析し、その頭文字を取って、「なつひさお」という言葉を創りあげたり。べてる流は革新的なのです。

 

私が最も心を突かれた部分は、べてるの家の当事者研究におけるミーティングの流儀です。

 

「なにをいってもいい、だれがいってもいい。またそこにはだれがいてもいい。ミーティングはそうした姿であってはじめて、参加した当事者がこころを開く。べてるのいのちはミーティングであり、「3度の飯よりミーティング」、ミーティングのないべてるはありえないというが、そのミーティングで参加者はけっして立派な発言やきちんとした考え方を期待されてはいない。なぜならそこは自分を語るところだからだ。自分を語るとき、人は立派な会議のように語ることはできない。もしそんなことをしたら、人はそこできっと「お前は自分を語っていない」といわれるだろう。

 

お前は自分を語っていない。

 

浦河でこれをいわれたら、まだまだ修行が足りないということだ。もっと苦労しなさいということでもある。ほんとうに悩んでいるのかと聞かれているときでもある。

 


この本を読み終えて、いや読んでいる途中から気づき始めるのは、前作同様に、これは私たちのことでもあるのではないかということです。他人がヒソヒソ話をしていれば、自分のことを悪く言われているのではないかと気になったり、ちょっとしたことが気になって爆発しそうになったり、仲間にうまく溶け込むことができず、仲間に入ったようでいて決して自分を語っていない。程度の差こそあれ、べてるの悩みや問いかけは、そっくりそのまま私たちへも向けられているのです。自分を見つめ直すためにもぜひ読んでみてほしい一冊です。