需要ギャップの話

以前のエントリーで、若い世代が介護・福祉の世界に目を向け始めていると書きました。10年前に比べると、特に若い男性が増えて、隔世の感があります。湘南ケアカレッジの受講生も、6割が女子で4割が男子(この書き方はなんだかドキドキしますね笑)。開講当初は男性が多いことに驚きもあり、私が男性に好かれているのか、はたまた女性に嫌われているのかと心配しましたが、そうではなかったようです。「女性が少し多いぐらいが、バランスが取れていてちょうど良いですね」と先生方とも話しているように、今となってはもう日常的な光景です。

若い世代の男性が介護・福祉の世界に増えてきているのは、今の若い世代の人々にとって仕事が少ないからだという論がありますが、それはあくまで一面的な見方であって、若い年代の人たちの仕事に対する考え方、仕事観が変わってきているからと述べました。本当はもう必要のない商品やサービスを無理矢理高く売るような仕事ではなく、本当に必要とされている仕事をしたいと本能的に考える人々が増えてきているということです。そして、ここからが今回の本題ですが、その崇高とも思える職業選択の背景には、ある程度のしたたかな計算もあると思います。

 

それは需要ギャップです。需要と供給の間にギャップがあるということ。もっと分かりやすく言うと、世の中で必要とされている仕事の人材と、実際にその仕事ができる人材の人数に差があるということです。介護・福祉の世界は需要ギャップが極めて大きく、将来的に見ても、誰がどう考えても、ギャップが縮まることはなく(残念ながら)、ますます拡がってゆくはずです。しかし、仕事をする上では、実はこの需要ギャップがある世界で働くことのメリットは計り知れません。

 

どういうことかというと、働き方の自由が果てしなく大きいということです。私が学生時代にアメリカに留学していたとき、そこで出会う社会人は2通りでした。企業から留学制度を使って学びに来ている人、そして医療・介護職に就いていたけど一旦やめて学びに来ている介護士や看護師、理学療法士たちでした。なぜだか当時ははっきりと理解できなかったのですが、今となっては、後者の人たちが多かった理由が分かります。それは一度仕事をやめても、ブランクがあっても、いつでも仕事を見つけることができるからです。なぜなら需要ギャップがあるから。

 

これが需要ギャップのない仕事や世界ではそうはいきません。一度やめると次があるか分からないので、ちょっと勉強しに海外に行ってきますなんて自由はないばかりか、その職場が合わなかったり、人間関係がうまくいかなくても、ひたすら我慢しなければなりません。また、介護の世界には、趣味を極めたり、別の仕事もやりつつという方も多い気がします。湘南ケアカレッジの講師の中にも、ビーチサッカーの国際審判をやっている人もいれば、大道芸で食べていたこともあるなんていう人もいます。自分の人生を生きる選択肢が多いということですね。

 

この需要ギャップの考え方は、食いっぱぐれがないとか、手に職という意味ではありません。たとえ手に職を持っていたとしても、その世界(業界)自体に需要がなければ職には就けません。たとえば、弁護士や司法書士という資格は取るのは難しいにもかかわらず、今や弁護士や司法書士になっても仕事がない、就職先が見つからないという状況があります。資格の難易度と需要ギャップが比例しない、ズレてきているところが面白いですね。今、そしてこの先は特に、重要なのは、難易度の高い資格(なりづらい職種)ではなく、需要のある(必要とされている)仕事なのだということです。介護や医療の世界に向かう若者たちは、そのあたりを肌で感じ取っているのだと思います。