「風になる」自閉症の僕が生きていく風景 

著者の東田直樹さんは、生まれつき重度の自閉症という障害を抱えています。日常的な会話は難しく、奇声を発したり、こだわりの言葉を繰り返したり、突然飛び跳ねたりします。このような奇行を東田さんは好きでやっているわけではなく、自分の脳で自分をコントロールすることができないのです。「まるで、壊れたロボットを操縦するような身体」と東田さんは表現します。また、なぜ通常の会話ができないかというと、言葉が分からないからではなく、話そうとした瞬間に頭の中が真っ白になるからだそうです。「人を困らせてばかりいると思われていますが、実は、僕自身がいちばん困っていることを、一体誰が想像できるでしょう」と東田さんは語ります。

自閉症は生まれつきの脳の障害です。その病気の名称から、引きこもりや閉じこもりと誤解されがちですが、そうではありません。自閉症の人は、見た目も性格も違い、100人の自閉症の人が集まれば100通りの自閉症の出方があるのです。たとえば、人の表情や相手の言葉の意味や空気が読めない、記憶力が驚くほど良い、目が回らない、ルールを忠実に守る、飽きることを知らない、質問しても答えられない、オウム返しに答える、眠らなくても平気、などなど様々な症状があります。そして、どんなに頑張っても自閉症は治ることはなく、自閉症の人は一生自閉症と付き合っていかねばなりません。

 

そんな中、東田さんは大変な努力を重ね、文字盤を指し、その文字を声に出して読むことで、自分の意思を人に伝えられるようになりました。一文字一文字を紡ぐようにして書かれた文章は実にシンプルで美しく、力強さがあります。私の大好きな写真家である星野道夫さんに似た、自分の宇宙の中で時間をかけて対話をした末に生まれてきた言葉たちです。ここから先は、私の印象に残った東田さんの言葉たちに語ってもらいましょう。

 

(前略)学校でいじめられている子どもがいれば、助けてあげてください。どこかで泣いている子どもがいれば、なぐさめてあげてください。その子は、きっと、あなたが自分を救ってくれたことを一生忘れないでしょう。

 

僕は、記憶の中の自分がいつも幸せであってほしいと願っています。そうすれば、嫌なことがあった時も、いずれよくなると信じられるからです。信じる力が、人の未来を切り開いていくのではないでしょうか。

 

(「記憶の中の自分が幸せであってほしい」)より

 


(前略)意欲を持たせるのは、子どもの場合、ほめることでも可能でしょう。しかし、ほめる行為は、好きだという気持ちを伝えることとは別のものだと考えています。なぜなら、ほめる時、同時に好きだという気持ちを伝えると、いい子の自分だから愛されている、と勘違いしてしまうからです。僕は、そのままのあなたを愛していると伝えることが、何よりも大事だと感じています。

 

人は、ありのままの存在を認めてもらったときに、自分の価値を自覚するのだと思います。障害のあるなしにかかわらず、その人にとって、かけがえのない人間だという実感、それが重要になります。

 

人が生きる上で最も大切なのは「希望」です。障害者の中には、希望のない毎日を送っている人もいます。もちろん、生活の中で楽しみはありますが、しかし、楽しみは希望ではないのです。

 

希望というものは普通、将来の夢や目標で、自分の力で探すものだと思われています。けれども、僕はそれだけではないと考えています。希望は生きる意欲を引き出すためのものだからです。人から「好き」と言われることも「希望」ではないでしょうか。

 

明日の自分を待っていてくれる人がいる。そう思えることが、希望のない人の「希望」になるのです。

 

(「人から『好き』と言われることも希望」)より

 


(前略)僕は確かに障害者で、1人でできることは限られているでしょう。普通の人たちの中にいた場合、常に心配してくださる気持ちもありがたいです。でも、僕がいちばん望んでいるのは、みんなと同じ時間を共有することなのです。ありのままの僕を受け入れてくれるみんなも、ありのままの自分であってほしいと願っています。特別に僕を気づかうことなく、隣にいて、同じ場所で生きている幸せを実感してください。これは、もちろん僕を無視することとは違います。

 

自然体でいることは、相手の人格を受け入れ、認めてくれることだと思うのです。そのことが意外に難しいということに、僕は気づきました。

 

(「障害者と一緒の時は、自然体でいてほしい」)より