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私がALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気を知ったのは、「難病患者等ホームヘルパー養成講座」を手がけていた時期でした。自分が企画・運営している講座の内容について少しでも知っておきたいという想いで、難病について勉強しました。その中でも、現在、難病と指定されている130の疾患がある中で、ALSが最も印象に残ったのは、意外にも身近なところに罹患された方がいること(日本の患者数は約9000人)、そして、この病気の恐ろしさゆえだと思います。

ALSとは、

終末期疾患(簡単にいうと、死に至る病)。

 

運動神経が攻撃され、全身麻痺を引き起こし、

肺にも致命的な影響を及ぼす。

少しずつ可動性を失っていく。

進行がゆっくりなため、体の異変になかなか気づかない。

皮膚の感覚や頭のなか(感覚神経や自律神経)は

これまでと変わらない。だから、これまでできたことは

そのままできると勘違いしてしまうし、失敗するとふつうに痛い。

 

たとえば、なぜか歯みがきや髭剃りなどができなくなり、

なぜかなにもない場所で転ぶようになって前歯を2本折ったり、

なぜか座り慣れているソファから立ち上がれなくなる。

このように、毎日少しずつ体を動かすことが困難になっていく。

 

今では、動かせるのは左の人差し指と顔だけ…。

 

そして、僕はそのうち、体のなかに捕われ、

目しか動かせなくなるのだ。

 

でも、きっと目だけでだって、たくさんのことが伝えられる。

 

この病気の患者のなかには、目の動きすら保障されていない人もいる。

それが自分であることが、僕の一番の恐怖だ。

 

それは“TOTTALLY LOCKEDIN STATE”(完全に閉じ込められる)

と言われている。

 

なにも動かない。体、肺、顔、目…なにも。

完全に一人、世と無関係。

 

でも頭のなかの僕は僕のまま。無限に考え続ける。

ガラスの棺おけ、自分の体の牢屋のなかで。

 

この状態になったら諦めるかも。

だから、タイムリミットはある。

 

どうかこれを乗り越えられる

勇気が僕のなかにあることを願う。

 

(本文より引用)


著者の藤田正裕さんは、パソコンのキーボードを打つことが難しいため、視線とまばたきで操作できるトビーというアイトラッキングシステムを使うことで、この本(文章)を目で書いています。ALSを発病する前と後の出来事や思い出を、そのときの心情を包み隠すことなく綴っています。30歳を境として藤田さんの人生はたしかに大きく変わったのですが、この日記を読んでいると、底抜けに明るく、前向きで、勇気に溢れ、仲間に囲まれて、ちゃんと生きている藤田さんは変わっていないことが伝わってきます。それはALSにも奪えないもののひとつなのでしょう。

 

一時期、毎日のように自分でヘルパーの研修をしてた。

技術をもったヘルパーを探すのが大変。

これは国にどうにかしてもらいたい。

 

巨体なのに超弱い人。

爪は長く、いつもひっかかれ、足は踏まれ。

暑いのか僕に汗を垂らすが、なぜかシャツ2枚にタートルネック。

おちんちんを触るのが怖いのか、尿瓶で突っつきながら

なかに入れようとしたり。

 

ベッドに座らせるのに「失礼します。失礼します」と

40回ぐらい言いながら、結局できなかった人には、

さすがにその場で帰ってもらった。

 

できるヘルパーは他の患者が放さない。

本当のヘルパーが足りない。

ヘルパーの重要性を理解して、給料や資格の難易度を高める必要がある。

 

神経質でせっかちな自分には

今まで自分の手や足や声でできたことを、

すべて他人にやってもらうのに慣れるのは、想像以上に大変なことだ。

 

きっと、一生慣れないまま終わると想う。

人間はそうやって生きるようにできていないからね。

 

今は、2年一緒にいてくれているヘルパーが多いから、ある程度意思疎通できているが、いつ、誰がどうなるかわからないから、不安は消えない。

 

(本文より)


 

ALSの患者が生きていくために、どれだけヘルパーが必要か、痛いほど伝わってきます。それゆえにヘルパーにも高い技術が求められる。高い技術と言ってしまうと語弊があるかもしれませんが、きちんとした介助ができる必要があるということです。高齢の方の介護にしても、障害のある方にしても、難病患者にとってもそう。ホームヘルパー2級から介護職員初任者研修に移行したのは、そういう流れのひとつです。修了試験や実技の確認テストが設けられたのも、彼ら彼女らの生きるを支えるためなのです。私たち学校も、そのことを肝に銘じなければなりません。

 

最後に、藤田さんからのメッセージ、しっかりと受けとめます。