ある先生が認知症の高齢者の方を可愛く思うと話したところ、研修が終わった後のアンケートにて、「認知症の方が可愛いとおっしゃっていたことが印象に残っている。そう思えるようになれたら、もっと良い認知症ケアができるかも」と書いてくれた生徒さんがいました。頷きながらアンケートを読んでいると、ある生徒さんは、「私は認知症の家族がいて大変な思いをしたので、認知症の方が可愛いという表現には違和感を覚えました」と率直な意見をくれました。こちらもなるほどと思わせられました。どちらの気持ちも良く分かります。
同じ可愛いという言葉に対して、ここまで反応が分かれるのは、それぞれの立場や背景、経験が違ったということなのだと思います。たとえば、隣の家のおばあちゃんのハナさんが認知症を患ったとして、「ハナさんが認知症になった」と考えるか、「認知症のハナさんになった」と考えるかの違いと言っても良いかもしれません。頭につく冠がハナさんか認知症かで、その捉え方は大きく変わってきます。前者はハナさんの一部が認知症になってしまった(認知症はハナさんの一部)という認識であるのに対し、後者は認知症がハナさんを乗っ取ってしまったように感じられます。
今まで一緒に暮らして来た家族が認知症になると、どうしても認知症のハナさんという感覚に陥ります。身近にいる人であればあるほどそうだと思います。なぜなら、それまでのハナさんとは全く違うような言動を取ることが増え、その急激な変化を目の当たりにしてしまうからです。そうなると、認知症という病気によって、ハナさん自身が奪い去られてしまったと感じ、当然ながら認知症という病気、最終的には認知症のハナさんを憎むようになるかもしれません。とても認知症の方が可愛いとは思えなくなりますよね。
介護を仕事にする介護職員は、認知症という状態になった人を支援する上ではハナさんに認知症がくっつき、生活にいろいろと支障が出ているという考え方や見方をすることが大切です。認知症になって一番辛い思いをするのは、その状態になっている本人であり、どんな状態になっても介護実践者は余裕を持って受け止めていかなければならないからです。可愛いという表現が適切かどうかは受けとめ方次第ですが、そう思えるほどのゆとりを持って認知症の方を受け止めていければと思います。
そして同時に、その家族はなかなかそういった考え方、見方をすることは難しいということも知っておくべきでしょう。それは親が子どもに勉強を教えるのが難しいと同じ理屈ですね。少し距離を置いた人間の方が素直に物が見えて、スムーズにことが運ぶこともあるということです。