「治さなくてよい認知症」を読む(その1)

著者である上田諭氏のことは、朝日新聞の紹介記事を読んで知りました。薬に頼らない認知症療法、つまり精神療法(面接)を提唱している精神科医。うつ病などには効果があることが認められており、それを認知症患者に転用してみたところ、暴言などがなくなったと言います。精神療法と言っても大げさに考えるのではなく、「本人に注目して真剣に話を聞くのが精神療法の第一歩。実はそこまでは誰でもできることです」と説きます。この記事を読んだとき、これぞ認知症治療の本丸だと直感し、著書である「治さなくてよい認知症」を読んでみようと思ったのです。

 

実際に読んでみて、私の直感は正しかったと確信しました。これまでの認知症関連の本が色あせてしまうほど、認知症について、認知症患者について、その周りの家族について、考えて考え抜いた末にたどり着いた深い洞察に溢れています。序章からすでに深い。「認知症治療とは何を『治す』のか」と私たちに問い、「専門家は誰の方を向いて仕事をしているのか」と迫ります。自身が診療した数々の経験の中で、「認知症の人の表情が消える瞬間」があると言い、その描写は私たちの胸を衝くのです。長くなりますが引用させてください。

 

診療で、その認知症の人の表情が消える瞬間がある。曇るとか悲しげになるというのではない。凍りつくでもない、まさに消えるように見える。それは、一緒に受診にきた家族や介護者が、本人についての不満や問題点を医師に話すときである。本人の心情を考えて遠慮がちに話す人もいれば、本人などいないかのように露骨に悪口や不平を言い募る人もいる。その瞬間、多くの場合、本人の顔から表情というものがなくなるのだ。その場にいないかのような、聞こえているのに聞こえていないかのような、表情の消えた、ふだんの生活では見られない得も言われぬ顔に感じられるのである。そのとき、認知症の人は何を思い、考えているのだろうか。


 

上田氏の提案は、認知症は治らない病気であるという前提から出発します。こう言い切ってしまうことだけで勇気の要ることだと思いますが、そこから始めないと正しい方向へは行けないのでしょう。決してネガティブな発想からくる治らないではなく、治らない病気であることを周囲がよく認識した上で、認知症の人の不安な思い、うまくできなくなった生活の事柄を理解し、「慰め、助け、共にする」ことが大切なのです。「治らなくてよい、治さなくてよい」という逆転の発送は、早期発見、早期治療、治る、改善、予防といった言葉を並べる、自分の方を向いて仕事をしている人たちに対するカウンターにもなっているのです。

 

そもそも認知症の人の割合は、85歳以上では4割を超え、90歳以上になると6割に達します。これぐらいの年齢になると、2人に1人は認知症になるのです。高齢社会において、長寿を礼賛しておきながら、それに伴って起こるはずの認知症という病気を問題視することが問題だというのはまっとうな考え方ですね。

 

認知症を特別なことと考えず、誰にでも起こる普通のことと認め、認知症の人と共に前向きに積極的に生きる。認知症があっても、張り合いを持って生き生きと生活することを第一に考えることなのである。それを実現するために生活の仕方を工夫するのである。