夏休み前に勧められて読んでみようと思っていた本ですが、内容が重そうなので気軽に手をつけられず、9月になってようやく最初のページをめくりました。ところが、読み始めるとあっと言う間にこの本の世界に引き込まれ、まるで子どもがハリーポッターに熱中するように、1ページ1ページ目を見開いて、最後まで一気に読み終ってしまいました。認知症の人がこれまでどういった境遇を経て今に至るのか、現実は小説よりも奇なりと言いますが、まさに私たちの知らなかった激動の歴史を知ることができるのです。
今から40年前、ちょうど私が生まれたころ、日本は高齢化社会に突入しました。老人医療費が無料化された昭和48年は福祉元年と呼ばれ、寝たきり老人が増加し、有吉佐和子さんが書いた小説「恍惚の人」が社会に衝撃を与え、精神病院の実態が社会問題となりました。当時、認知症は精神疾患とされていたので、認知症の人は介護や福祉の対象ではなく、精神病院へと入所・入院させられていたのです。
認知症の人は狭くて不潔な部屋に閉じ込められ、ネコまんま(ご飯とお味噌汁、おかず、薬などを混ぜ合わせたもの)を口に入れられ、立錐の余地もないほど敷き詰められたベッドもしくは畳で雑魚寝をさせられました。問題行動があるとされた人は、ベッドに縛り付けられ、手足を縛られ、車いすにベルトで固定されたりしました。つなぎ服を着せられ、髪は誰もが短く刈り込まれ、薬漬けにされ、一日中ベッドの上で生活を強いられました。遠い昔の話ではありません。今からわずか40年前、私が生まれた頃の話です。
目を背けたくても背けられない、悲しい歴史があって、このままではいけないという声が少しずつ上がり始め、今の認知症の人に対する支援の仕方やサービスがあります。「身体拘束禁止令」もグループホームも、小規模多機能ケアも「認知症」という名前さえも、そういった歴史の中から生まれてきたものです。認知症の人を、何も分からなくなってしまった、人格が変わってしまったと捉えるのではなく、普通の人と同じ人権を持っていて、認知症でないときと同じように個性豊かに生きられるよう支援していくべき、と考えられるようになったのはつい最近のこと。認知症の人のとらえ方やかかわりの図式は大きく変わったのです。
私の心を衝いたのは、グループホームの歴史です。認知症のグループホームが日本に誕生したのは1990年代に入ってから。認知症の人には病院ではなく小規模の生活の場が重要と考えたスウェーデンで始まった取り組みに端を発し、北海道にある「函館あいの里」が最初に開設されました。当時は行政からの財政的な支援もなかったため、開設した林崎光弘氏は私財を投じてグループホームを立ち上げたのです。
全国各地にその取り組みは広がっていき、2000年に介護保険制度がスタートして、ようやく居宅サービスのひとつとして位置づけられたのです。今となっては当たりまえにあるグループホームも、最初はひとりもしくは少数の人々による、革新的で献身的な実践によるものでした。今、こうあるべき介護に取り組んでいる人々にとっては、勇気のもらえる話ではないでしょうか。
著者があとがきで述べられているように、歴史を知らぬものは、未来を語ることはできません。私たちは二度と悲惨な歴史を繰り返さないために、介護の明るい未来を語るために、認知症の人の歴史を忘れてはならないのです。