どんな仕事をしていても、苦しいときは必ず訪れます。責任のある仕事をしていればいるほど、一生懸命に取り組めば取り組むほど、苦しいこともついて回ります。苦しいばかりの仕事はさすがにどうかと思いますが、良いときもあれば、苦しいときもある。それは私たちが生きている限り、避けられないことなのかもしれません。でもそんな苦しいとき、さらに言うと危機的な状況のときにこそ、他人のありがたみが分かるのです。そして、そういうときに現れ、助けてくれる人こそが、あなたにとって本当のその人だと思うのです。
学校運営の仕事という面においては、私はたくさんの先生方に助けてもらって、なんとかここまでやってこられました。かつて大手の介護スクールで働いていたとき、月に500時間働いても終わらない仕事に押しつぶされそうになりながらも、誰にも迷惑をかけたくない一心で働いていました。そんなとき、無理を言っているのにもかかわらず、快く手を差し伸べてくれた先生や身を削ってでも私をサポートしてくださった先生方がいました。
今でも忘れません。住環境コーディネーター講座の先生が決まらないまま募集が始まり、講座のスタートまで日数がないという状況の中、ほとんどの先生たちは「私にはできない」と断られ、もう逃げてしまいたいと思うぐらい絶望的な状況の中で途方にくれていると、「私が今から勉強して教える」とひと肌脱いでくれた先生がいました。
人に教えるためには、教えられる側の10倍は勉強しなければできません。その先生はその日から寝る間も惜しんで勉強し、その講座のために準備し、間に合わせてくれたのでした。私も一緒になって学び、資料をつくり、できることは何でもしようと思いました。なんとかその講座が終わったとき、大きな安堵とともに深い感謝が溢れてきました。
あるときは、朝、○○教室に先生がいないということで(わたしがいた大手の介護スクールではよくある光景でした…)、急きょ先生を手配しなければならないときも、その先生は真っ先に電話に出てくれて、「今から行くわ」と即答してくれました。電話越しに水の流れる音が聞こえてきたので、「今何していたのですか?」と尋ねてみると、「朝風呂にゆっくり入っていたのよ」と返ってきたのです。そのとき、本当に申し訳ないという想いしかありませんでしたし、その先生に見えないことは知りつつも、私は電話を持ったまま深々とお辞儀をしました。
今まで、いろいろな仕事をしてきた中で、その都度、苦しいときや危機的な状況がありましたが、不思議とそういうことばかりが思い出に残っているものです。楽しいことや嬉しいことは流れ行ってしまいますが、辛いことや苦しいことはいつまでも覚えている。もしかすると、そういうことこそがスパイスとなって私たちの人生を形づくっているのかもしれませんね。
もちろん、そういった状況で助けてくれた人々への感謝の気持ちも、今でも消えることはありません。自分が身を削られるような状況だからこそ、身を削って助けてくれた人々の優しさが痛いほどに分かるのです。こういった経験から、苦しいときにこそ、自分にとって本当に大切な人が分かることを、私は身をもって教えてもらったのです。そして、今度は自分が身を削って助けられるような人になろうといつも思うのです。