試験があることの意味

1月25日(日)、介護福祉士国家試験の筆記試験が行われました。介護福祉士の国家試験は筆記と実技に分かれており、筆記は1月下旬、実技は3月下旬に毎年1回実施されます。介護・福祉の仕事に携わってから3年間(1095日)以上が経過しており、かつ540日以上を仕事に従事していることが受験資格となります。現状では、1年のうちでたった1度しか受けることができず、しかも筆記試験に合格できないと実技試験に進むことができないため、介護福祉士を目指す方々は、日々仕事をしながらも大変な思いで勉強されます。当日は緊張もするでしょうが、私たちが生きている中で、こういった真剣さが時には必要だと感じます。


私はかつて子どもの教育にたずさわっていたことがありました。子どもの教育は、良くも悪くも、最終的には受験というシステムに吸収されてしまいます。目指す最終地点が試験に合格することであり、志望校に入ることが目的とされます。私はどうしてもそのことが好きになれませんでしたが、唯一の良い点は、試験があることで真剣に取り組むことができるということです。ゴールがあるからこそ、そこに向けて頑張って走ることができるという意味です。裏を返せば、それ以上の意味や価値は受験システムにはないと思います。

 

私を筆頭に、人間は基本的に怠惰ですから、目的がなければわざわざ勉強をする人は少ないはずです。学ぶことは自分に対する投資になると分かっていても、つい目の前の楽しいことに心を奪われてしまう。大人だってそうですから、子どもはさらに然りです。そんな私たちに目的や動機ややりがいを与えてくれるのが、試験でありテストなのです。

 

実際に子どもたちを教えていて、彼ら彼女らが目標や目的を持って取り組むときの真剣さには驚かされることがありました。勉強に没頭しているときの彼ら彼女らは、学ぶことを心から楽しんでいるように映りました。受験は競争だと言われますが、(全体から見れば事実そうなのですが)彼ら彼女らは見えない誰かと戦っているわけではなく、自分自身と戦っているのです。行き過ぎた受験には弊害がありますが、適度なハードルがあることは大切なことです。

 

ですから、最近の試験を免除しようとする世の中の動きには私は反対です。大学などでは、面接などを重視したAO入試の比率が高まり、介護福祉の分野でも、介護福祉士の専門学校等の養成施設に入った人々は筆記も実技試験も免除される制度は相変わらず。試験を課すと、専門学校に入ってくる生徒が減るというのが最大の理由ですが、筆記も実技試験も合格できないかもしれない方が国家資格を自動的に取れてしまう方が問題です。そして、何よりも、ハードルを下げてしまうことで、せっかくの学びの機会を奪ってしまうことがもったいないと思います。

 

介護福祉士の試験を受ける人々は、テストに向けて勉強をしていく中で、自分の甘さや弱さと戦うことになります。自分自身を知り、そして今学んでいる知識や技術が、日々の仕事といかに密接に結びついているかを知ることになるはずです。真剣に没頭して取り組めば取り組むほど、学ぶことの喜びを知ることになるのです。大人になってからの学びは楽しいものです。