違いを認めると

あっと言う間に、3月短期クラスが終了してしまいました。先週、日曜日クラスが最終日を迎えたと思いきや、今度は短期クラスが駆け抜けるように終わってしまいました。研修の修了は卒業であり、めでたいことではあるのですが、立て続けに2つもクラスが終わってしまうと寂しいものがあります。生徒さんたちと先生方や学校が、そして生徒さんたち同士もようやく仲良くなれてきたのに、お互いにもっと知りたいのに、世の中の全てに終わりがあることはときとして残酷ですね。それでも、私たちはまた明日から、それぞれが新しい道へと踏み出していかなければならないのです。最終日には、皆さまから桜の花が散りばめられた色紙とドライフラワーをプレゼントしていただきました。皆で撮った写真を添えて、大切に飾らせていただきますね。ありがとうございました。


3月短期クラスはとても個性的な面々が集まりました。良く言えばバラエティに富んでいる、悪く言えばバラバラ。性別や年齢がバラバラということではなく、それぞれの人間的な背景がバラエティに富んでいるということです。正直に言うと、初日から3日目ぐらいまで、このクラスは果たしてどうなってしまうのだろうと思いました(笑)。これまでたくさんの個性的なクラスをまとめてきましたが、さすがに今回のクラスは私たちの手にも余るのではないかと心配しました。でも、それは杞憂に終わりました。

 

介護職員初任者研修に限っては、それぞれが違ってみんな良いのです。極端なことを言えば、最初はお互いが全く理解し合えないぐらいでちょうど良いのです。今から15年以上前に私がこの研修(当時はホームヘルパー2級と呼ばれていました)を受けたときのクラスも、全くもってバラバラな人たちが集まっていたと思います。私たちは小さいときから、同じ年齢の人たちと同じような教育を受けて育ってきますし、社会に出てからの仕事場やコミュニティにも似たような人々が集まります。そんな環境で育ってきた私がこの研修を受けたときの衝撃はすさまじいものがありました。

 

同じテーマで話をしているにもかかわらず、話がかみ合うことは稀で、当時の私の狭い価値観や常識に照らすと、理解できないようなことがたくさんありました。それでも、少しずつお互いを知り、仲良くなってくると、彼ら彼女らの言っている言葉や行動の意味が少しばかり分かるような気がしました。それは置かれている立場の違いであったり、これまでの経験や経歴といった背景の違いであったりすることから来ていることもありましたし、病気や障害ゆえでもあったのです。世の中には、自分の定規に当てはめても計れないことがたくさんあり、私にとって当たり前にできることでも当たり前にできない人もいることを教えてもらいました。もちろん、それは逆に私にも当てはまります。

 

その違いを知ることが、介護であり福祉の原点なのかもしれないと思いました。介護や福祉の現場に立つと、自分の想像を遥かに超えた価値観や常識を持つ人たち、または障害や病気を抱えていることにより、できることとできないことがある人たちと向き合っていかなければならないのです。そんなとき、自分とは違う人を排除するのではなく、なぜ彼ら彼女らはあのような言葉を発するのか、このような行動を起こすのかと、相手のことを知ろう、理解しようとするプロセスが極めて重要です。その言葉や行動の奥底にある理由や背景に想いを至らせるということです。そして、違いを受け入れる。いや、受け入れるというと受動的なので、もっと正しく言うと、積極的に違いを認めるということです。そこから対話は始まるものであり、それは自分という人間を受け入れてもらう、認めてもらうことにも通じます。違いを認めることができれば、私たちの人生はいつの間にか幸せに満ちるのです。研修におけるクラスメイトたちとの関わり合いの中で、私は大切なことを学んだのでした。