まずは○○する。

子どもが生まれたことをきっかけとして、大手の介護スクールを辞め、紆余曲折を経て、子どもの教育に携わる仕事に就いたことがあります。今から思えば、教育ってなんだろう、教えるって何だろうという好奇心からでした。自ら教育の現場に立ち、おそらく最も難しいであろう子どもの教育に向き合うことで、人を育てるということを学びたかったのだと思います。そして実際に、最も難しい年ごろの子どもたちを直接に教えるという仕事に5年間浸りました。無我夢中で取り組み、たくさんの失敗と成功を重ねたことで、ほんの少しではありますが、教育とは何かを知ることができました。この5年間の貴重な経験は、もちろん湘南ケアカレッジにも活かされています。


私が学んだことのひとつとして、以前に書いた教え方のサイクルがあります。相手の出来ないことや分からないことを見つけて指摘するのが教育ではなく、まずは褒めて認めて、それから出来ていないことを見つけ、やってみせ、やってもらって、できたら褒め、認めることが教育であるということです。意外なことに、教育の現場においてさえ、この教え方を知らない、もしくは知っていても意識的に行われていないところがほとんどです。

 

なぜかというと、私たちは本能的に相手の悪いところ、できていないところを見つけて、つい感情的にそこを指摘してしまうからです。上の教え方のサイクルは、人間の感情や本能を抑えなければ成り立ちません。親が子どもをしつけるならば、それで良いのかもしれませんが、プロとして教えるのであれば、本能や感情をコントロールし、教え方のサイクルを意識的に行わなければなりません。それをノウハウとかマニュアル的と言う方もいますが、実際にやってみると、極めて難しいことが分かると思います。教育は科学なのです。

 

そんなことを先生方や卒業生さんたちと話していると、自分が認められたければ、まずは認めることが大切ですよね、という反応が返ってきました。まさにその通りで、この教え方のサイクルの入り口、いや奥深いところには、自分が教える人として認められるためには、まずは教える相手のことを認めなければならないという、最も重要な理論が含まれています。当たり前のことですが、誰だって、自分のことを認めてくれていない人の言うことなど聞きたくないし、認めたくないのです。子どもの場合、その反応が正直にダイレクトに出ますが、大人だって同じことだと思います(表に出さないだけで)。

 

「与えよ、さらば与えられん」という言葉がありますが、私たちは与えていかなければならないのです。与えるという言葉がピンとこなければ、差しだすとか、提供するとか、貢献するとか、投資するとか、場面によって使い分けて良いと思います。そして、私たちが差し出したものが、私たちに同じ形で返ってくるということもこっそりお伝えしておきます。感謝すれば感謝されるし、愛情を注げば愛情が返ってきます。お金を出せばお金が返ってくる(笑)。返ってくることを期待するのではなく、まずは与えることがどれだけ難しいことか、世の中を見まわしてみても、自分の胸に手を当てて考えてみても分かると思います。まずは認めて、褒めて、感謝するサイクルが自然に行われる社会になると良いですね。