岡山県の津山に帰省してきました。小さな頃から盆暮れ正月には必ず帰っていて、1冊の本におけるブックマークのように、1年におけるひとつのリズムのように私に刻まれています。旅に出るような高揚感もなく、地方に出張に行くような義務感もなく、あたかも日常生活のひと息として、田舎に行ってこちらに戻ってくるのです。津山の実家に到着すると、まずはひいばあちゃんの部屋に向かうのが習慣でした。「ただいま!」と挨拶をすると、いつも「おかえりなさい、大きくなったなあ」と顔を撫でてくれました。
ひいばあちゃんは100歳近くまで生きました。晩年は目がほとんど見えなくなり、寝たきりに近い生活を送っていましたが、最後の方まで頭はしっかりしていましたので、枕元でいろいろな話をすることができたのです。ひいばあちゃんが学生だった頃の生活や戦争の話などは、当時小さかった私にとってはよく分からないことばかりでしたが、それでも自分よりも70歳以上も離れた人とコミュニケーションが取れることが、私にとっては驚きであり、新鮮であり、不思議だったのでしょう。村の長老の話を聞くような畏敬の念を抱きつつ、ひいばあちゃんの手を握っていたのでした。
そうはいってもやはり子どもですから、ときにはイタズラ心を起こすことがあります。ある日、妹とふたりでひいばあちゃんの部屋で3人一緒に寝ることになったとき、私たちはちょっとした悪戯を思いついたのでした。眠っているひいばあちゃんの身体のあちこちに、気づかれないように、ティッシュペーパーをちぎって小さく丸めたものを詰め込んでいくというもの。まずは足の指の間にティッシュペーパーを詰め、次に手の指の間へ。ひいばあちゃんを起こさないように、静かに、そっと。耳の穴に詰め終わったときには、ふたりとも笑いを抑えきれず、最後の鼻の穴で完成かと思ったその時、「こら!」と今まで聞いたことのない大きな声が響いたのでした。
あとにも先にも、ひいばあちゃんに叱られたのはこのときだけでした。今から思えば、ひいばあちゃんもイタズラをする子どもたちをギリギリまで遊ばせながら、最後の最後でおどかした程度だったのでしょうが、まさかあの優しいひいばあちゃんに叱られるとは思いも寄らず、私たちはとんでもないことをしてしまったような気になり、そのまま布団の中にもぐって、翌朝まで沈黙を貫いたのでした。普段は寝たきりで、もしかすると何も感じていないのではないかと思わせられるお年寄りが、実はそのようなことはなく、非常に繊細で敏感な感情を有し、ときとしてそれを爆発させることもできることを知った原体験でした。
恥ずかしながら、私はひばあちゃんの良かったときの思い出しかありません。最期の数年は認知症になり、祖母はその介護で苦労したのですが、ちょうど私の忙しい時期と重なっていてほとんどその様子を見ていないのです。でも、だからこそ、私にとってのひいばちゃんは、丸くて柔らかくて、いつも笑っている、優しいお年寄りの原型でありイメージなのかもしれません。