「福祉のこころ」

小野寺先生から勧められてこの本を読んだとき、「ああ、私の考えていたことは、こういうことだったのだ」と腑に落ちる気持ちになりました。私は今から20年近く前に、当時はホームヘルパー2級講座と呼ばれていた今の介護職員初任者研修を受けました。そのとき私は、これまで学校でこのようなことを教えてもらったことがなかった、と素直に思いました。ケアカレの卒業生さんの中にも、介護職員初任者研修を義務教育にすべきとおっしゃる方もいるように、当時の私もまさにそんな想いでした。今の学校教育に決定的に欠けているのは、道徳教育ではなく、福祉の教育なのではないでしょうか。未来を担う子どもたちには、福祉のこころを育む教育が必要なのです。

 

道徳教育と福祉の教育との違いは、前者が物ごとの善悪を教えるのに対し、後者は人間の幸福や自分や他者を愛する心、公平なこころを持つこと、自分は生かされていると感じるこころを教えるということです。物ごとの善悪は、時として偏ってしまったり、押しつけがましかったりしますが、福祉のこころが教えようとしていることは普遍的な何かです。だからこそ、福祉や介護の仕事にたずさわる人たちだけではなく、誰もが学んでもらいたい教育のひとつなのです。私は日本国民の全員が、福祉のこころを学ぶために、せめて介護職員初任者研修は受けてもらいたいと願っています。著者の一番ケ瀬康子さんは、こう語っています。

 

私は福祉の分野で仕事をしてきましたが、決して、みなさんに福祉の専門家になってほしいと思ってこの本を書いているのではありません。福祉には専門家だけでなく、さまざまな学問や職業に福祉の心を活かすことが大切だからです。そして、福祉の心をもって生きる時、途中で立ち止まったり、方向を転換することがあったとしても、あなたの人生を心から愛し、「次」につなげていくことができるのだと確信しています。福祉とは、自分も他者も愛することにほかならないのですから。

 

第3章の「私の中の弱さに気づく時」の中のエピソードは私の心に刻まれました。著者が終戦後に就職した紡績工場にて、ある女性工員さんが母親の胎内で感染した「梅毒」のために体がボロボロになり、会社としては他の人に感染するのが怖いから辞めてほしいという流れになりました。まだ医療が発達していない中では、どうしようもなかった現実がありました。彼女は結局仕事を辞めさせられることになり、著者は彼女を泣く泣く駅まで見送りにいきました。ところが、別れ際に、彼女が握手を求めて手を差し出してくれたとき、著者はその手を握り返すことができなかったのでした。

 

そのシーンがずっと心の中に焼きついて離れない、と著者は語ります。感染するのが怖かった、自分の弱さをどうすることもできなかった、利己的な自分に気づいたというのです。それは一方で、他人の弱さへの共感へともつながっているのだそうです。こういう人間のさまざまな想いを抜きにして、福祉は語れないと。最後に、一番ケ瀬さんの言葉を引用して締めくくりたいと思います。

 

 

福祉の仕事に関心を持つ人が増えています。社会福祉士や介護福祉士など、さまざまな資格も誕生しましたし、福祉を学ぶ場もかつてより、ずいぶん多くなりました。もちろん、歓迎すべきことですが、長年福祉にたずさわってきた私が願うのは、その一番根っこに福祉の気持ちや心、それからさまざまな問題を冷静に見る姿勢を育てること。そしてそれは、今あなたが生きている毎日をきちんと見つめることから始まるのだと思います。