「目の見えない人は世界をどう見ているのか」

評論家や書評家からも絶賛の嵐を受けていた本書。私も読んでみて(しかも2回も!)、実に洞察力に富んだ内容に感動すら覚えました。この本を読んで、今まで抱えていたモヤモヤが晴れたように感じ、私の世界観も少し変わりました。著者が示してくれた目の見えない人の新しい世界観は、私たちの思い込みを打ち払い、福祉や介護にたずさわる人々にアプローチの転換さえを求めてくるようです。関係者必読とまでは言いませんが、読まない人と読む人の間で、旧福祉観と新福祉観ぐらいの違いが生まれるのではないでしょうか。これから日本に訪れる前人未到の高齢社会においては、私たちは障害に対する思い込みをいったん捨て、もう一度、自分の世界観をつくり直していかなければならないのです。

 

私たちの得る情報の8割から9割は視覚によるものであり、視覚は感覚の王として君臨します。その視覚が失われた状態を想像するだけで、私たちは不安や恐怖を感じ、絶望の淵に立たされてしまうかもしれません。しかし、ほんとうにそうなのでしょうか。見えない人の世界は、私たち見える人が思うような世界なのでしょうか。生物学者を志していた著者はそこに興味を持ち、視覚障害者たちへの綿密なインタビューによって、ほんとうの目の見えない人たちの世界の全貌を解き明かしていきます。

 

そこで見えてきたものは、視覚情報に支配されてしまっている私たちが、いかに視覚情報のない世界を誤解し、誤った形で広めてしまってきたかということでした。障害者は健常者が使っているものを使わず、健常者が使っていないものを使っている人と考え、助けるのではなく違いを面白がることから、障害に対して新しい社会的価値を生み出すことを目指すべきだと著者は主張します。

 

見える人が目をつぶることと、そもそも見えないことはどう違うのか。見える人が目をつぶるのは、単なる視覚情報の遮断です。つまりひき算。そこで感じられるのは欠如です。しかし私が捉えたいのは、「見えている状態を基準として、そこから視覚情報を引いた状態」ではありません。視覚抜きで成立している体そのものに変身したいのです。そのような条件が生み出す体の特徴、見えてくる世界のあり方、その意味を実感したいのです。

 

見えない世界と見える世界の違いを、3本足の椅子と4本足の椅子のたとえで説明されていて、とても分かりやすいです。もともと4本足の椅子から1本を取ってしまったら、その椅子は傾いてしまい、壊れた不完全な椅子になってしまいます。でも脚の配置を変えることで、3本でも立てますし、むしろ状況によっては3本の方が安定していることもあります。目の見えない人の世界を理解しようとするとは、脚が一本ないという欠如ではなく、3本がつくる全体を感じるということです。異なるバランスで感じると、世界は全く違って見えてくるのです。意味が違ってくるということです。

 

視覚情報の欠如という見方をしてしまうと、見える人が見えない人に必要な情報を与え、サポートして助けてあげなければならないという、福祉的な発想になってしまいます。そのことが健常者と障害者の間に壁や緊張をつくり、上下関係を生み出してしまうこともあります。また、この福祉的な発想が逆に振れると、今度は障害者を特別視することになります。見えない人=点字という誤解はこの最たるもので、視覚障害者のことを学ぶためには点字を知りましょうという教育が施されます。今の時代、視覚障害者の点字の識字率は12%であり、ほとんどの方はパソコンを使い、音声読み上げソフトを利用しています。点字を学ぶこと自体は悪いことではありませんが、実際には見えないからといって皆が点字を読めるわけではなく、触覚が鋭いわけでもないのです。このあたりの福祉的教育の無理解や誤解は根深いものがありますね。

 

視覚がないから死角がないという空間認識論、触ったり聞いたりすることで見ることができる器官と能力を切り離した感覚論、見えないからこその身体論やシンクロ力、言葉によって断片から全体を推理していく演繹力、そして不自由な状況をユーモアによって読み替える力など、見えない人の世界に興味を持って知ろうとすることで、私たちにとっても大きな学びがあるのです。そこに福祉とは違う、「面白い」をベースとした障害との付き合い方を著者が提案するゆえんがあります。

 

最後に、障害者について、「障碍者」や「障がい者」と表記してしまうことの間違いについて、(著者は柔らかな表現で書いていますが)2011年に施工された障害者基本法をもとに完全論破しています。私もかねてより、このような先回りの配慮をしてしまう方の心の中にこそ、差別の意識が強く根付いていることを感じていましたが、その根拠を説明することができませんでしたので、胸のつかえが取れたような気がします。「障碍者」や「障がい者」と表記してしまう大学教授や福祉関係者の皆さまは、本書を読んで、やわらかい頭で、他人の目で世界を見ることを学んでみてはいかがでしょうか。