「好き」と「愛している」の違い

「好きと愛してるの違いはどこにあるのですか?」という直球の質問を卒業生から受けました。そんなこと考えたこともなかったので、即答することができませんでしたが、せっかくなので私なりに考えてみることにしました。「好き」と「愛している」、英語でいうところの「Like」と「Love」はどう違うのでしょうか。どこまでが「好き」で、どこからが「愛している」なのでしょうか。普通に考えてゆくと、「好き」が高じて「愛している」になる、つまり「好き」という感情の度合いというか熱量が高まることで「愛している」という感情に変わる。「好き」の上位に「愛している」があるということです。しかし、よくよく考えてみると、これは少し違うのではないかと思うようになりました。

「好き」と「愛している」の違いは、時間が決めるのだと私は思います。「好き」という感情が長い時間にわたって持続したものを、「愛している」と表現するのではないでしょうか。具体的にどれぐらいの時間かと問われると難しいのですが、たとえば1万時間の法則(人が何かにおいて秀でるためには1万時間の練習や経験が必要とされる)を考えると、それぐらいの時間は「好き」から「愛している」に変わるためには必要なはずです。逆に言うと、それぐらいの時間を経ていないものは、まだ「好き」というに相応しいものであって、「愛している」には届いていないということです。だから、「愛している」なんて言葉は、軽々しく使えるものではなく、1万時間を経て初めて使える重いものなのですね(笑)。

 

この問題を自分にとってのモノゴトで考えてみると分かりやすいです。「好き」とか「愛している」とは別に男女の間だけに成り立つ感情ではなく、私たちが何かを対象として、たとえばモノやコトに対しても抱く感情のひとつです。

 

たとえば、テニスというスポーツが好きで始めたとします。ある時点では、「好き」という感情が高まって、一生懸命に練習して、試合に出たりするかもしれません。そんなとき、もしかすると自分はテニスを「愛している」のではないかと錯覚することもあるかもしれません。ところが、試合に負けたり、伸び悩んだりすると、「好き」の感情が低下し、落ち着いてしまうこともあるでしょう。「好き」はアップダウンを繰り返します。そんな中でも、1万時間、つまり毎日日2~3時間ぐらいそのことに費やし、およそ10年間「好き」でいられて初めてテニス愛となるのです。

 

 

自分の「好き」と「愛している」を振り返ってみても、これは当てはまります。10年間ぐらい「好き」でいられなかったものは、結局は「好き」でしかなかったのだと思いますし、それ以上の今もずっと「好き」でいられるものは「愛している」と言えるのだと思います。つまり、今の時点で「好き」と「愛している」の違いを今考えることにあまり意味はなくて、それは時間が決めることであって、ふと気がつくと「好き」が「愛している」に変わっているというたぐいのものなのです。これはもちろん仕事にも当てはまることですね。1日7~8時間ぐらい働き、およそ5~6年ぐらいで1万時間に達する計算になります。これぐらいその仕事を続けてみて、はじめて「好き」だった介護の仕事を「愛する」ことができるようになるのだと思います。