何かをやめること

最近、忙しいと感じることが増えてきました。実務者研修という新しい研修が始まり、またそれに伴い生徒さんの人数も多くなってきたということもたしかにありますが、そういう嬉しい忙しさではなく、業務量が増えてきてしまった忙しさです。湘南ケアカレッジを開校してから、できるだけやるべきこと(業務)を減らし、やらないことを守ってきたつもりでしたが、いよいよ4年目にして今一度、仕事を見直してみる時期が来ているのだと思います。

なぜ業務を極限まで少なくするべきかというと、決して自分が楽をするためではなく、余裕のある時間をできるだけ確保することで、人とコミュニケーションを取る時間を増やすためです。それによって私たちの仕事の成果が最大化するだけでなく、仕事の効率さえもアップするというのが私の考えです。

 

なぜコミュニケーションが仕事の成果を最大化させ、効率を上げるのかについては、ここでは説明しません。今回はどのようにして業務を減らすのか、また、放っておけば自然と増えてゆく業務を減らすためにどのように戦うべきかについて書きたいと思います。放っておくと業務量は自然と増えていくというのは、仕事の法則のひとつです。エントロピー増大の法則(自然界のあらゆるものは放っておくと無秩序になってゆく)という法則と同じぐらい、真実であり真理を示しています。パソコン上のデータがいつの間にか増えて、動きが遅くなってくるように、最初は軽くてシンプルだった仕事も、次第に重くて複雑になってゆきます。これはどの企業や介護施設、お店、学校などの職場で常に起こっていることです。

 

そして、そのほとんどは、善意にもとづいた提案による、大した効果を生み出さない、小さな業務の積み重ねによるものです。たとえば、ある職場である人が、「今日、朝出社したら、何台かのパソコンの電源が落ちていませんでした。電気代がもったいないです。節約という意味でも、これからは最後に帰るスタッフが、全てのパソコンの電源が消えているかどうかをチェックして帰ることにしましょう。その際のチェックリストがあった方がいいですね。○○さん、作ってもらえますか」と提案したとします。こういった善意の提案を断るのは案外難しいものです。1ヶ月ぐらいは、電源を切り忘れる人もいなくなり、最後に帰るスタッフもチェックをしますので、うまく回っているような気になります。しかし、しばらく経つと、またパソコンの電源を落とし忘れるスタッフがいて、なおかつチェックをし忘れて帰るスタッフが出てきます。

 

そんな事態が発覚すると、今度はまた、「最後の人がチェックして帰ることに決めたのに、それを忘れて帰る人がいます。○○さん、昨日はあなたが最後でしたよね?」、「いえ、△△さんが外回りから帰ってくると思って、チェックせずに帰りました…」、「はっきりと予定が分からないのだったら、△△さんに確認してから帰るべきでしたね。もう2度とこういうことがないように、明日から誰がチェックし忘れて(もしくはチェックして)帰ったかを朝いちに来た人がチェックすることにしましょう。××さん、1ヶ月ごとのチェック表をつくっておいてください」

 

こうして職場にはひとつずつ仕事が増えてゆき、気がつくと、やるべき仕事が山のようにあるという事態に陥ってしまうのです。このような無駄な仕事を増やすことで、やるべきことを忘れたりミスしたりして責められることも増え、スタッフ同士はお互いに疑心暗鬼になり、そのことでさらにやるべき仕事が増えるという無限ループが生まれます。

 

私は部署移動や転職などで、新しい職場や企業等に入ることが何度かありましたが、ほとんど効果を生まないにもかかわらず、ルーティーン業務となっている仕事をやんわりと指摘すると、必ず返ってくる答えは「これがうちのやり方で、これまでずっとやってきていますから」でした。これまでの経験から、「やらないこと」や「やめること」を提案すると、必ず真面目な人たちから反発に遭い、うまくいった試しはありません。実際にやらない、やめることは難しいのです。逆に、やることを増やす提案は快く受け入れられるから不思議です。これは日本における長時間労働と生産性の低さの問題と密接に関係しています。

 

 

自分で自分の首を絞めるだけならまだ良いのですが、それによってスタッフ同士のコミュニケーションが減ったり、仲が悪くなったり、お客さんとゆっくりと話をしたりする時間が少なくなることが大きな問題なのです。そして、そういう忙しいだけの職場や仕事は、総じてあまり利益を生み出していない、つまり、社会に貢献していないことがほとんどです。私たちは変に真面目すぎるのかもしれません。常識や規則に縛られて、さらに自分たちを縛るルールをつくりだしてしまう。それによって得られるものはなく、失うものが多いにもかかわらず、それでもやめられない。誰もやめようと言えない。私たちに必要なのは、何かをやることではなく、勇気をもってやめることなのかもしれませんね。