良きところを出してもらう

人間の心には善いところもあれば、悪いところもあります。善い人と悪い人が明確にいるわけではなく、ひとりの人間の中に、善き部分と悪しき部分が存在するということです。もちろん私にも、善いところもあれば、悪いところもあります。私というひとりの人間の中に、善い村山もいれば、悪い村山もいるということです。できるだけ善き部分を表に出そうと自ら努力することも大切ですが、周りの環境によって、人間は善きところを引き出されたり、逆に悪きところを露呈してしまったりするのです。湘南ケアカレッジでは、その人の善いところを最大限に出してもらいたいと考えています。

 

良い人がいるところには良い人たちが集まると言われますが、私はそうではないと思っています。実際はその場にいる人たちの良い部分が出ている環境と悪い部分が出ている環境があるということです。人はそんなに簡単に良い人と悪い人に分けられるわけではなく、善いところが引き出される場所とそうではない場所があるだけ。善い人が多い場所とは、その人の善いところを引き出すことができる環境であるということ。これはたとえば認知症の人に対する接し方などにも同じことが当てはまります。

 

人の善きところが表に出るようになると、「善いところを素直に出していいんだ」、「善き部分を出すべきなのだ」という雰囲気が何となく広まり、周りの人々にも伝染していくのです。自分の善いところを発揮できるとすれば、それは自分にとって良い環境であり、その逆もまた然り。またこう考えることもできます。人間はもともと善き人であり、善きところを表に出して生きていきたいと願っているにもかかわらず、その場所や周りの環境によって、悪いところが出てしまうということです。

 

それでは、どのようにして、人の善きところを出してもらうのか。難しいようで、意外と簡単。簡単なようで難しいことです。ひとつは、笑顔で挨拶をすること。もうひとつは、相手を褒めること、認めること。そして、それを伝えること。さらに細かく考えていくと、たとえば悪口を言わないこと、ネガティブなことはポジティブに変換して口に出す頭の良さを持つこと、話を聞いて共感できること、(心を)観察すること、相手を敬うこと、などなど。こうして挙げてみると、良きコミュニケーションであり人との接し方ということですね。

 

 

私は、特に介護や福祉を学びに来るような人たちは、善きところをたくさん持っていると思っています。コミュニケーションや接し方さえ正しければ、介護の学校は人間の善き部分で溢れるのです。なぜ大手の介護スクールにいた頃、あれだけクレームの嵐と日々闘わなければならなかったのかと思い返すと、それは人の善き部分ではなく悪き部分を引き出してしまうシステムになっていたからだと思います。それは子どもの教育にたずさわってみても痛感しました。彼ら彼女らの善きこころを引き出し、育むことができるかどうかは周りの大人次第です。湘南ケアカレッジは、人の善きところが自然と溢れ、それによってお互いのこころが癒されるような学校でありたいと願います。