分かろうとすること、分からないこと

晴天の下、第3回「全身性障害者ガイドヘルパー養成研修」が行われました。梅雨入りをしたとのことで、当日、雨が降らないかどうか心配していましたが、汗がにじむぐらいの良い天気となり、ひと安心しました。参加してくださって皆さまの日ごろの行いが良いのでしょう。この研修はほとんどが屋外で行われますので、どうしても天候に左右されてしまうことは否めません。午前中は芹が谷公園に行き、車いすの操作等をみっちり練習し、午後からはペアになって、それぞれの目的地(行きたい場所)へと旅立ちます。特に午後からの、ほぼ自由行動に関しては、実際の(車いすに乗った)利用者とガイドヘルパーとして街に出て、様々な体験をしてもらいます。そうすることで、普段の私たちの視点では見えないものが見えてくる、感じられないものが感じられるのです。

 

全身性障害者ガイドヘルパー養成研修の内容を作り始めた当初は、外に出るときは、腕に湘南ケアカレッジの名前が入ったリストバンドをつけてもらおうと考えていました。たまに「研修中」というゼッケンを付けている団体を見ますよね。そうすることで、私たちは当事者ではなく、研修をしている一般の人ですというアピールになり、車いすの人たちが団体でいてもおかしく思われません。

 

ただ、湘南ケアカレッジの全身性障害者ガイドヘルパー養成研修は、2人1組で個別に行動してもらう以上、目立ちませんし、むしろゼッケンやリストバンドをつけてしまうことで、周りの人たちも当事者として見てくれなくなります。つまりそれは当事者としての体験ができないことにつながるのです。そこであえて私たちは、何もつけることなく、普通の格好で街に出ることにしたのです。

 

その企画は当たりで、生徒さんたちはそれぞれの体験をしてきてくださいます。周りの人たちの優しさに触れた方、危険や不自由、障害を感じた方、できるだけ当事者に近い状況を設定することで、普段は感じることもなかったことに気づき、新しい視点や感覚を獲得することができるのです。小野寺先生が「5感を使って学ぶことが大切です」とおっしゃっていたように、テキストや練習で学んだことはすぐに忘れてしまいがちですが、自分で行動して学んだことは永遠に残ってゆくのです。

 

 

それでも、と思います。私は毎回、午前中の練習に付き添っていて、生徒さんたちと一緒に芹が谷公園に向かいます。その途中で(芹が谷公園の中の道で)いつもすれ違う、車いすの少年とその父親らしき方がいます。最初は、実際にこうして車いすを押している当事者の方がいることで、研修のリアリティが増すと考えていました。ところが、今回で通算11回目になるのですが、毎回すれ違うのです。彼らは毎日(もしかすると毎週日曜日だけかもしれませんが)、午前中はずっとそうして公園の中を散歩しているのです。たまたますれ違っているのではなく、彼らはずっと公園の中を回っていて、それは毎日の日課なのです。そのことに気づいたとき、私たちはどれだけ工夫をしたところで、完全に当事者の気持ちになることは不可能だと思ったのです。少年やその父親がどのような想いで毎日、芹が谷公園の中を車いすで回っているのか、私たちには分からないのです。当事者しか当事者にはなれないという大前提を踏まえつつ、それでも私たちは、少しでも彼ら彼女らに近づいてゆこうとすべきなのではないでしょうか。