がん患者の家族は看病の不安やストレスで悩まされ、その心の負担は患者と同じかそれ以上と言われます。つまり、患者同様にケアされるべき第二の患者なのです。がんのような重篤な病気であればあるほど、患者本人への心配や注目が大きくなってしまいがちですが、その傍らにいるパートナーや親、子どもたちにも同じように大きな心的負担が掛かるという視点は大切なのだと思います。これはがんだけに限ったことではなく、長期にわたって療養が必要な他の病気でも同じことが当てはまるはずです。そうすると、介護が必要になった要介護者の周りの家族も第二の要介護者と考えることもできるのではないでしょうか。
著者の青鹿ユウさんは、入籍の前日に婚約者である夫から大腸がんを告げられ、看病をすることになります。最初は「私がいるから大丈夫」と、自分に頼ってもらおうと気丈に振る舞っていましたが、次第に大きな不安や何とも言えない心苦しさが襲い掛かります。たとえば、入院中でもマンガを描きたい夫と身体を気遣ってあげるべきとアドバイスしてくれる友人の間に板挟みになり、どうすれば良いのか悩んだり、術後のパニックで暴力的になってしまうほど夫がナーバスになったり、経済的に厳しくなったりと、ガンという病気が引き起こす状況にいつの間にか自分も巻き込まれて、もがいているのでした。
こういう苦しいときほど、少しでも状況を良くしようと考えたり、工夫したりすることで、新しい何かが生まれたりします。ユウさんもがんという病気や保険などの制度に対する様々な知識を得ただけではなく、患者との接し方やコミュニケーションのあり方など、多くを学び、よりふたりの絆は深くなりました。良い状況はそれを楽しめば良いし、悪い状況は何かを生み出すチャンスだと楽しめば良いのです。
もうひとつ大切なことは、状況は変わるということです。義理の母を介護しているNちゃんと話した中で、「状況は変わる」という言葉にユウさんがハッとさせられたシーンがあります。今でなければできないことなんてない。状況はいつか変わるのだから、そのときめいっぱい自分のことをがんばるのでも遅くないと教えられたのでした。
これは病気や介護だけではなく、どのような苦境にある人々にとっても知っておくべき考え方かもしれません。今目の前にある悩みや苦しさから何とか逃れようともがけばもがくほど、私たちは苦しくなってしまいます。大切なことは、苦しいときにこそ、目の前のことに集中することだと思います。私は「時間が解決する」と自分に言い聞かせることにしていますが、それは先のことを考えすぎるのではなく、何もしないということでもなく、今自分ができることをひとつずつ積み重ねて、あとは状況が変わるのを待つということです。たとえ最後に死が待っていたとしても、行うことは同じなのではないかと私は思います。