「光」

「あん」が余りにも素晴らしく、光を巧みに取り入れた映像が美しかったので、次回作が視覚障害者を主人公とした「光」というタイトルの映画であることを知ったときには期待をせざるをえませんでした。そんな私の大きな期待を裏切らない、観終ったあとはさすが河瀬監督と思わせられる作品でした。視覚障害を負うことになった著名なカメラマン中森と駆け出しの音声ガイド美佐子の交流がストーリーの幹ですが、認知症や生と死を扱ってみたり、映画中にもうひとつの映画が上映されるという入れ子構造にもなっているように、実に濃厚で重厚な内容になっています。また、健常者が視覚障害について想いを馳せ、理解を深めるのにもってこいの教材にもなりそうです。

 

個人的には、美佐子と中森の恋愛は蛇足だと思いましたが、美佐子が音声ガイドという仕事を通して、視覚障害者の世界やその心情にぶつかりつつ、理解し始めるシーンの数々が素敵だと思いました。たとえば、音声ガイドに対してあまりにもダメ出しをされたことで、美佐子がつい「想像力がないんじゃないですか」と中森に対して突っかかってゆく場面があります。その後、美佐子は上司から「想像力がないのはどっちなのかな?」と正されます。

 

想像力という言葉はそこら中にあって、「相手の気持ちを想像して」なんて私たちは気軽に言ってしまっている気がしますが、本当に私は想像できているのだろうか?という疑問がふと湧きました。もしかすると、目で見えている情報だけを頼りに、勝手にそう決めつけていたり、自分にとって良いように解釈しているだけかもしれない。私たちには目をつぶって、本当の意味において、想像する時間が足りないのです。

 

視覚を完全に失ってしまう直前、中森が「顔、触らせてくれないかな」と頼んで、美佐子の顔を撫でるシーンも私は好きです。大切なものが見えなくなってしまうことの辛さ、目で見ず手で触ることで脳裏に宿る映像の美しさ、そして映画の中でも語られている「目の前から消えてしまうものほど、美しいものです」という言葉の意味がそこには込められていました。

 

 

目の見えなかった曾祖母が私の顔を撫でてくれたことを思い出し、あのときの感触が蘇ってきて、懐かしく、胸が締め付けられる想いがしました。もし愛する人の美しい姿が見えなくなったら、私はどのようにして生きてゆけるのでしょうか。想像すればするほど、私にはそこに光を見出すことができる自信がありません。

 

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