人生の彩り

かつて私が大手の介護スクールで働いていたときにお世話になった、S先生から久しぶりに電話がありました。お世話になったなんていう言葉では足りないと思えるほど、目をかけてくださり、仕事の面でもプライベートな面でも助けていただき、いろいろなことを教えてもらった恩人であり、もうひとりの母親のような存在です。少し大げさかもしれませんが、彼女がいなければ、私はここにいなかったかもしれません。あれから20年の歳月が流れ、私はそのスクールを辞めたのちに、子どもの教育にたずさわり、今、湘南ケアカレッジにいます。S先生と話していると、あの頃の苦労がまるで楽しかった思い出のように蘇り、素晴らしい人たちと一緒に素晴らしい仕事をすることが、人生に彩りを与えてくれるのだと感じます。そして、そこはかとない感謝の気持ちが湧いてくるのです。

 

S先生とは知り合った頃から意気投合し、まるで自分の息子のように愛情を持って接していただきました。その気品の高さにもかかわらず、人と接するときに相手をリラックスさせる柔らかさがあり、相手がどのような人であっても同じようにフェアに向き合う。人を悪く言ったり、愚痴を言うのを聞いたことがありませんでしたし、どのようなネガティヴな状況であってもポジティブに変えてしまうユーモアと頭の柔らかさがありました。それだけではなく、ポジティブなことはさらにポジティブに楽しむことにも長けていました。ひと言で言うと、心にいつも余裕があり、懐が深い女性でした。S先生とできる限り多くの時間を共に過ごし、彼女の考え方や感じ方を少しでも身に沁み込ませようとしました。

 

S先生との思い出は挙げればきりがないほどありますが、出会ってすぐの頃に、同じ教室で教えていたF先生のお見舞いに新横浜の病院に行ったことを鮮明に覚えています。その当時、スクールに入りたてだった私は、F先生と面識はありません。連れられるがままに病室まで行くと、F先生は案外元気そうで、ベッドから立ち上がり、病室の外に出て来てくれました。私はF先生に何を話せばよいのか分からず黙っていると、F先生は私に対して「村山さん、絶対に無理をしちゃダメだからね」と言ってくださいました。実際にはそれから数年間、私は壮絶な無理をすることになるのですが(笑)、そのときは「はい、分かりました。F先生も無理をしないでくださいね」と答えました。

 

その後、1ヶ月も経たないうちに、F先生はお亡くなりになりました。30代の若さでした。S先生と一緒にお葬式に行き、F先生のお顔を見たとき、私にはF先生の無念が伝わってくるようで仕方ありませんでした。F先生と長い付き合いのあったS先生はどのような思いで彼女の死を感じているのか、私は想像することしかできませんでした。なぜあのときS先生はF先生と面識のなかった私を病院までお見舞いに連れていってくれたのか、私にはまだ分かりません。

 

 

ただ、あの体験から学んだことは、人の命は有限であり、私たちは生きることのできなかった人たちの無念を背負って、頑張って楽しく生きていかなければならないということ。そして、一緒に仕事をする人たちとも、性別や年齢を超えて、人生の一場面や生き死にを共にするぐらいに信頼し合い、感謝や愛情を伝え合い、時には深く関わらなければならない、ということをS先生は教えてくださったのでした。