素直に話を聞く正しい方法

私たちは小さな頃から「素直になりなさい」と教えられてきましたが、これ以上に難しいことはないのではないでしょうか。私にとってだけではなく、もしかすると皆さんにも当てはまるかもしれません。素直になることには様々な意味があり、たとえば自分の心に素直になることもあれば、人の話を素直に聞けることもあります。どちらも簡単なようで難しく、時には高度なレベルでの知的作業を要します。そしてどちらかと言うと、前者の自分の心に素直になることよりも、後者の人の話を素直に聞けることの方が、より難しいと私は思います。

 

なぜ人の話を素直に聞くことが難しいのでしょうか?自分のエゴが邪魔をしてしまうからでしょうか。何を言われたかではなく、誰に言われたか、どのような言い方をされたかが気になってしまい、つい感情的に受け入れられないからでしょうか。たしかに、そういう面もあると思います。

 

ただ、人の話を素直に聞くことが難しいのは、その話が正しい場合もあれば、間違っている場合もあるからです。その正誤の区別がつきにくいため、正しいことは素直に聞けて、間違っていることは素直に聞かない(受け入れない)の聞き分けが極めて難しいのです。

 

「○○さんの話は話半分に聞け」とアドバイスされたことはありませんか?○○さんは大げさに話をするから、あまり素直に受け止めなくてよいという意味だと思います。私はこの話半分という言葉を少し違って解釈しており、他人の話は正しいことが半分で間違っていることが半分あるぐらいの感覚で聞いたら良いのだと考えています。他人もそれぞれ自分の視点や立場で話をするため、正しいことを言っていることもあれば、間違っていることもある。そんな状況で、全てを素直に聞くことは難しいですし、もし間違っているのであれば素直に受け止めない方がよいはずです。

 

正しいことを言われた場合は素直に聞けば良いのですが、もし間違っている場合はどのように受け止めたら良いのでしょうか。無視をしたり、反論したり、胸の内にとどめておいたりするだけでは、あまり良い解決策にはなりません。そのような場合には、言われたことにそのまま反応するのをやめて、なぜ他人はそのような話をしたのかを他者の視点を借りて考えてみることです。

 

 

たとえば、分かりやすい例を挙げると、「人の話をちゃんと聞きなさい!」と注意されたとき、「聞いています!」とそのまま反応するのではなく、「なぜこの人は私がきちんと話を聞いていないと思ったのだろうか。そうか、突っ立っているだけで、メモも取っていないと見られているんだ。たしかにメモを取れば、記憶だけではなく記録にも残るし、あとから復習することもできる。次からはメモを取ってみよう」と考えるということです。

そのように考えることで、言われたこと自体は的外れであっても、その周辺の少しずれたところに実は新しい気づきがあったりします。正しいことはそのまま素直に受け入れ、間違っている指摘でも、ひと呼吸置いて、なぜ他人はそう思ったのか(言ったのか)を想像し、自分流に解釈しなおして正しく改善する。これが素直に話を聞くことの正しい方法なのです。