「未知のと対話」

録画してもらっていた「未知との対話」という番組を観ました。一昨年、訪れて体験したダイアログインザダークについて、そしてダイアログインザサイレンスについてのドキュメンタリー番組です。ちょうど同行援護従業者養成研修を立ち上げている最中でもあり、目の見えない世界と音の聞こえない世界、つまりもうろうの世界にとても興味が湧いているため、実に味わい深く鑑賞することができました。私たち目の見える人は、ほんとうに見えているのだろうか、また耳の聞こえる人は、ほんとうに聞こえているのだろうか、というのが正直な感想です。光が見える、音が聞こえることが、果たして見えること聞こえることなのでしょうか。私には分からなくなってきました。

番組のほとんどは、新しく開催されたダイアログインザサイレンスを追いかけています。ダイアログインザサイレンスでは、聴覚障害者が耳の聞こえる参加者たちを音のない世界にアテンドします。参加者のほとんどは手話を知らないため、コミュニケーションは身振り手振り、つまりジェスチャーにて行われます。私はまだ参加したことがないので分かりませんが、音のない世界では、より相手に伝わったのかという気持ちが大切になり、より相手に伝えたいという気持ちが強くなるのではないかと思います。

 

ひとりの聴覚障害のある女性は、「ダイアログインザサイレンスにアテンドとして参加してみて、コミュニケーションにおいて、目と目によるアイコンタクトがいかに大切かを改めて知った」と語っていました。また、LGBTであり聴覚障害者でもある男性アテンドは、「聴覚障害者同士は伝えたいことをそのまま伝えるのに対し、健常者とのコミュニケーションは、『こういうことが言いたいのですね?』と問い返すことが多くて難しい。健常者は私たちのことを大変だと思っているかもしれませんが、私たちから見ると健常者の方が大変だなと思います」とコメントしていたのが印象的でした。

 

 

目の見えない世界や音の聞こえない世界という極端な違いがあるからこそ、私たちはできることとできないことを再認識することができます。そして、できることとできないことはいつでも逆転する可能性があって、できないことはできることで、できることはできないことにつながることを知るのです。しかし、このような分かりやすい違いではなくても、私たちひとり一人の間にも小さな違いから大きな違いまでが横たわっているのではないでしょうか。だからこそ、私たちは相手のことを知りたいと願い、自分のことを伝えたいと思うのです。私たちはそれぞれが違う世界に生きていて、いつだって対話を必要としているのですね。