誠実であれ

昨年12月から始まった介護職員初任者研修の日曜日クラスが終わりました。ほんとうに個性的な方が多く、ともすれば四方八方好き勝手な方向へと飛び立ってしまいそうなクラスでしたが、最後は何とかひとつに気持ちがまとまって修了できたようで何よりです。研修最終日には、クラスメイトの皆さまでつくってくださった、ポスター大のメッセージボードまで贈っていただきました。どこに飾ろうか迷っています(笑)。そして、打ち上げにも参加させていただき、教室の中では聞けない、湘南ケアカレッジに対する本音の感想も教えてもらえました。「湘南ケアカレッジを選んで本当に良かったと思っています」と言ってくれた方もたくさんいましたし、昔のブログを読んでくださったのか「ケアカレが100年続きますように」とおっしゃってくれた方もいました。

 

その中で、「とても誠実な学校で良かった。やっぱり、人は誠実に生きなければいけないね」と語ってくれた生徒さんがいました。そのように思っていただいたことが嬉しく、改めて誠実であることの意味や大切さを考えさせられました。というのも、湘南ケアカレッジのような町田にしかない小さな学校は、誠実にやっていくしかありませんし、それが何よりも難しいことでもあるからです。そもそも誠実とはどういう意味なのでしょうか?良い人を演じることが誠実ではなく、八方美人ではないことが誠実でもなく、社会や他人に合わせることが誠実でもありません。様々な解釈はありますが、今のところ私は、自分が正しいと信じる中身のあることを愚直に行っていくことが誠実ではないかと考えています。

 

今から15年ぐらい前にいた職場で、仕事における強みや良さを、自己評価と他者評価するという研修がありました。自分の強みや良さを見つけるのは意外にも困難で、決して自信がないわけでも、へりくだっているわけでもありませんが、どうしても他人と比べてしまい、もしかすると私に強みや良さはないのではないかと思わせられました。そこで無理矢理ひねり出したのが、誠実であることでした。仕事が遅くて上手くできなくても、自分としては誠実に人と接し、物ごとに当たっているつもりでした。ところが他者評価は少し違って、「人の話を丁寧に聞けること」という声がほとんどでした。なるほど、人前で上手に話すことはできなくても、人の話をきちんと聞けるだけで評価に値するのだと驚いたものです。介護の世界で言うところの傾聴というやつですね。

 

 

自己評価で唯一思いついた誠実であることが、時を経て他者評価として返ってきたことを嬉しく思います。それぐらいしか取り柄のない人間が、素晴らしい先生方に助けられながら運営している学校ですので、誠実な学校としか評価できなかったのかもしれません(笑)。それでも自分たちの強みや良さを生かすためには、私たちはこれからも誠実な学校でありたいと願いますし、また個人的には、人の話を丁寧に聞ける強みや良さも失わずにいられたらと思います。私たちのあるべき姿を教えてくれるのはいつも生徒さんであり、軌道修正してくれるのも生徒さんなのですね。ありがとうございます。

最後にたくさんのお土産やお菓子もいただきました。