予告編を見たときから、ずっと観たいと思っていた映画です。原題「FAR FROM THE TREE」は“The apple doesn't fall far from the tree.(リンゴは木から遠いところへは落ちない)”ということわざに由来します。つまり、親と子どもは似るという意味。実際にはその通りで、私たちは良くも悪くも育てられた親や周りの人たちの影響を大きく受けて成長し、父親と母親からのDNAを受け継いでいる以上、親の特性が色濃く遺伝するのです。そのような中でも、偶然か必然か、想像もできなかった「違い」を持つ子どもが突然、私たちの目の前に登場することがあります。
著者アンドリュー・ソロモンは物心ついた頃から、男性にしか興味を持つことができず、両親も息子がゲイであることに苦悩してきました。その経験を背景にして、普通ではないとされている「違い」を抱える他の人々にも興味を持ち、取材して、その家族のありようを描きました。映画の中には、たとえばダウン症や自閉症、低身長という障害や病気、または殺人の罪を犯してしまった息子を抱える家族の模様が映し出されます。それぞれに抱えている「違い」の種類や程度が異なるからこそ、まさにいろとりどりの親子がそこにあるのです。
映画の中で、低身長症の男性が語った、「障害がダメなことだなんて誰が決めたんだ。皆、そう思い込んでいる」という印象的なセリフがありました。たしかに、僕も含めて、普通の人は障害はマイナスの要素であると考えているはずです。正直に言うと、自分の子どもが五体満足で生まれてきたときには安心しましたし、重い障害や病気の子どもを抱える本人も家庭も大変だなと素直に思ってしまいます。普通が一番と思ってしまうのは、違うことに対する恐れでもあるはずです。
だからこそ、障害は乗り越えなければならないものであり、できることならば取り除かなければならないと思ってしまいます。障害を障がいや障碍に書き換えて表面だけを取り繕うようなことには賛成しませんが、ソフトの面からもハードの面からも、障害のない(感じられない)社会が実現することを心から願っています。しかし、その考え方自体も私の思い込みや偏見であったのかもしれません。
障害は祝福すべきだ、と映画は語りかけてきます。「違い」を欠陥として捉えるのではなく、愛すべきものであり、光として祝福されるべきなのです。トルストイは著書「アンナ・カレーニナ」において、「幸せな家庭はどれも似たものだが、不幸せな家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」というセリフを書きましたが、本当はそうではなく、幸せの家族の形もそれぞれに違っていて、それぞれが幸せなのではないでしょうか。
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