「道草」

ケアカレナイトに来てくれた卒業生さんから紹介されて、田端にあるミニシアター「シネマチュブキ」まで観に行ってきました。その日は、宍戸大裕監督のトークショーもあり、満員御礼。登場人物のひとりでもある岡部亮佑さんのお父さんから、「息子のことも淡々と撮ってくれないか?」という問いかけをきっかけとしてスタートした映画だけに、重度の知的障害者の自立(ひとり暮らし)の風景が実に淡々と描かれていました。決して重々しくならず、かといってポップなだけでは終わらず、強く主張をするでもない、観る私たちに問いかけるような映画です。ぜひ一人でも多くの方々に観て、知って、感じてもらいたいと思います。

 

映画の冒頭は、リョースケが介護者と一緒に散歩をするシーンから始まります。あちこちのマンホールを踏みながら歩いてみたり、枯れたタンポポを手に取ってフーっと息を吹きかけてみたり、公園に行ってはブランコを思いっきり漕いでみたり、私たちも小さい頃にそうしたはずの懐かしい風景や時間が広がっています。鳥や木々たちも優しく見守っています。

 

冷凍の焼きおにぎりを2つ食べることを巡ってのリョースケと介護者との間の交渉劇や、ヒロムが石神井公園を散歩する中で「タァー!」と大声を上げてしまうことを鎮めようとする介護者との掛け合いは、脚本があるのかと思わせる絶妙の間合いで繰り広げられるコントのようです。

 

私たちがいつの間にか忘れてしまった、この世界の風景や時間の流れがそこにあるのです。過剰な効率が求められ、プライバシー化され、他者に対しての鋭利なほどの厳しさによって、自分で自分の首を絞めてしまっている私たちの社会とは対極にある世界です。

 

そうはいっても、ほのぼのとした、心安らかな時間ばかりではありません。彼らが他者と交流して、社会の中で生きていくためには、多くのストレスや苦悩は避けて通れません。それは家族や周りの人々、そして介護者も同じです。かつてはリョースケも「冬の日本海(荒れない日はない)」と言われていたほどですし、ヒロムは上手く表現できないことがあると他害自傷を繰り返していたそうです。私たちが映画のワンシーンとして見ることができるのは一部なのです。

 

個人的には、登場人物のひとりであるユウイチロウが気になりました。彼は青梅の入所施設で過ごしていた頃から、他害行為が始まり、薬物投与も重なって入院することになりました。何かに怯えるようになり、自立生活を試みている今も不安定な状態は続き、自分で自分を抑えることができなくなり、ドアを力づくで開け閉めして大きな音を立てたり、部屋の壁を殴って穴を開けたりして大暴れしてしまいます。

 

 

彼の姿を見ていると、自分の心にも通ずるところがあるのです。私は何とか自分で感情を抑えたり、表現することでコントロールしたりすることができますが(できないこともあります)、彼には難しいときがあるのです。表面化してしまうかどうかは、一本の線というか、本当に一枚の薄い皮によって守られているかどうかの違いでしかありません。同じことは、彼らに理解を示さない人たちにも当てはまります。あなたと彼らはそれほどに違いますか。私から見ると、あなたも私も彼らもほとんど同じですよ。

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シネマチュブキタバタにて4月25日まで公開中です!