「脳科学者の母が認知症になる」(動画あり)

7月のケアカレナイトは、恩蔵絢子さんによる「脳科学者の母が認知症になる―記憶を失うと、その人は“その人”ではなくなるのか?」。先日、第1回目の講演が行われました。著書が発売された当初、家族介護者向けの講演を聞きに行き、その内容の素晴らしさとご本人の人間性に魅了され、ぜひケアカレナイトにも来ていただきたいとお誘いしました。それから数か月が経ち、ようやく実現したことになります。今回はよりパワーアップされていて、(今風に)控えめに言って最高の講演でした。脳科学的な見地からの解説が実に分かりやすく、理路整然と認知症について語ってくれるだけではなく、そこに娘と母という人間的な視点が加わり、私たちの胸を打つのです。

 

脳をテーマに17年間研究を重ねてきた脳科学者の恩蔵さんにとって、実の母親が脳の病気を患ってしまうとは何という皮肉でしょうか。しかも治療法が確立しておらず、進行性の病です。自分が治してあげることもできず、認知症になることを防ぐこともできなかったと恩蔵さんはおっしゃいます。自分の母親が違う人格(人間)になってしまうのではないか、徘徊などの問題行動を起こすのではないかなど、不安や悲しみに一杯で、小さな物忘れから始まった初期の頃が最も辛かったそうです。ようやく医師の元を訪れ、アルツハイマー型認知症と診断されてからは、未来に向けてどうするべきなのかと考えられるようになり、気が楽になったそうです。

 

ここまでは母が認知症になった娘の一般的な反応かもしれませんが、そこから先はさすが脳科学者です。脳の働きや構造を根拠にして、なぜ認知症の人はそのような言動をするのかを観察し記録し始めたそうです。人間の脳が記憶を定着させるまでに辿るプロセスから、なぜ認知症の人は大昔の記憶は覚えているのに最近のことが覚えられないのかなど、私たちにも分かるように共有してくれます。認知症の人はその場、その時のことは理解しているのだけれど、単に記憶が(定着し)ないこと。認知症になると、その人が大事にしていたものが浮かび上がってくること。嬉しいとか楽しいという感情の記憶は、たとえ海馬が委縮してしまっていても、新しく定着させることができるのではないかという希望、などなど。脳科学的に見て、認知症になっても決して終わりではないと人間的に語ってくれました。

 

茂木健一郎先生のお弟子さんということもあり、人間の感情に関する考察はさすがのひと言でした。ひとつの出来事に対して、私たちは多くの感情を持って良いという主張はその通りだと思います。認知症の人だけではなく私たち健常者も、何かに対して一貫した感情ではなく、たくさんの揺れ動く感情を持って良いのです。その感情の豊かさこそが、私たちの知性です。どれだけ苛酷な状況にあっても、ポジティブな感情を選択して抱き生きることはできますし、生きるとはそういうことの積み重ねなのです。認知症について、科学的に、そして人間的に、正しく教えてくださった恩蔵先生に感謝します。

 

講演の一部を無料公開しますので、ご覧になってみてください!

 

記憶を失うと、その人は“その人”ではなくなるのか?という問いに対しては、次回、7月17日(水)の講演にぜひ参加して、答えを聞いてみてください。介護に携わる全ての人たちに聞いてもらいたい、知ってもらいたい内容です。まだ少しお席がありますので、ぜひお越しください!