「孤独は消せる」、「サイボーグ時代」

昨年、分身ロボットカフェに行って、ロボットに接客をしてもらうという不思議な体験をして以来、吉藤オリィさんの目指している未来が少しだけ理解できた気がしました。吉藤さんは幼少時に3年半ほど不登校・引きこもりとなり、「できなくなる」ことへの絶望の経験を生かし、テクノロジーを用いて「できる」を増やすことで、人々の孤独を解消しようと研究・実践しています。障害や難病のある方々の孤独を解消するのはもちろん、少子高齢化や人材不足の問題を解決するのも、最終的にはテクノロジーだと個人的には考えていますので、吉藤オリィさんのやっていることの発想こそが、これからの日本社会を救うのではないかとさえ思えるのです。

 

できることが少なくなり、だれからも必要とされていない、居場所がないと感じ、自分の存在意義が見つけられなくなってしまう状態。私は実体験したそれを「孤独」状態とよんでおり、これが続くと生きる気力すら失われていく。これは障害者や引きこもりだけの問題ではない。(中略)そうした不安や無気力の原因も、突き詰めて考えていくと社会から「おまえは必要ない」といわれること、大切な家族にとっての「お荷物」になり果ててしまうことへの恐怖がある。しかし、新たにできることを見つけ、それによって喜んでくれる人がいて、「自分だからこそできることがある」と自覚できるようになると、人は自分の存在意義を見出せるようになり、前向きに未来を想うことができるようになる。だから私は不可能を可能に変えるためのテクノロジー、ツールをつくり続けているのだ。(「サイボーグ時代」より)

 

実は私も社会に出て、就職した会社を1年で辞めてから、およそ2年に及ぶ半引きこもりの時期を過ごしたことがあります。最初の1年は週に3日ほどアルバイトをしていましたが、次の1年は仕事という仕事はせずに、親の庇護の元で生活を続けていました。やりたいことがあったので、毎日が暇で仕方がなかったわけではありませんが、社会からの隔絶という感覚は常に抱いていました。

 

社会から必要とされておらず、家族にとってはお荷物であり、どこにも居場所がないという気持ちです。本当はそんなことないのですが、当事者にはそう思えるものです。何とか自分の存在意義を見つけたいと必死で抗ってみても、今の時代とは違って、社会に自分の存在意義と居場所を見つけるのは案外難しかったのです。健康な身体を有していた私でさえそうなのですから、難病や障害を抱えて思うように動けない人たちにとっての孤独状態とは、想像を絶するものがあります。

 

 

ロボットというテクノロジーを使って孤独を少しでも解消できるのは良いことであり、さらに素晴らしいのは、自分の身体を拡張させたロボットを使うことで社会との接点ができるということです。そして社会参加だけではなく、誰かから「ありがとう」と言ってもらえて、稼げること。実はこの後ろの2つが極めて重要です。おそらく私が引きこもりだったときに苦しかったのは、「ありがとう」と言ってもらえる機会が少なく、経済的にも認められることがなかったからだと思います。同世代の友人たちから取り残されて、自分は税金すら払えていないというあの頃の強烈な劣等感は今でも覚えています。

 

そういう意味において、分身ロボットカフェのように、誰かに「ありがとう」と言ってもらえて、しかもお金を稼ぐことができる社会参加の仕組みこそがとても大切なのです。そうすることによって、もし自分の身体が全く動かせなくなってしまったときにも、本当の意味での社会参加が可能で、孤独状態を克服できるのではないかと思います。実は遅かれ早かれ、孤独状態は誰の身にも訪れるものなのですから。