変わること、変わらないこと

ここ数年、足しげく通っているネパール料理店があります。ネパールの家庭料理であるダルバートにはまってしまい、ふと気がつくとランチタイムは足が向いてしまいます。ネパール人の卒業生に聞いてみたところ、「あのお店のネパール料理は美味しいです」と言っていたので、本物のネパール料理の味であることに間違いありません。ところが、つい最近行ったときに、いつもと味が違うことに気がつきました。今までにはなかった野菜が入っていたり、ジャガイモがやや硬かったり、豆のスープがぬるかったり、食後のチャイも味が薄くなった気がしました。何かが変わった、と私はそのとき感じました。この感覚は、このネパール料理店だけではなく、他のお気に入りの飲食店でも幾度となく抱いたことがあります。

 

私の勝手な想像の中では、少し見た目や味に変化を加えようとして、野菜を刻んだものを入れたのだと思います。良かれと思ってやったことです。しかし、せっかくのシンプルなカレールーの食感が損なわれてしまうばかりか、味も込み入って余計な感じがします。私がずっと食べてきたダルバートに慣れてしまっているから変化が受け入れられない面もあるのかもしれませんが、本来の味を良く知っているからこそ、それが改善ではなく改悪になっていることが分かるのだと思います。

 

ジャガイモがやや硬かったり、豆のスープがぬるかったりするのは、オペレーション面でどこか手を抜いているからではないでしょうか。効率化という建前で、楽をしようとしてしまったことでクオリティが落ちてしまうことがあります。余計な仕事を増やす必要は全くありませんが、これまでやってきて実はとても重要な仕事については、手を抜いてはいけないのです。つまり、大切な仕事には時間を惜しんではいけないということです。それはどのような仕事であっても、たとえば介護の仕事においても当てはまることだと思います。このようなことが起こらないためにも、私たちは常に、今やっているこの仕事がどのような意味を持つのか?と自問しなければいけませんね。

 

 

私たち人間は、変わりたくない生き物であると同時に、変わりたがる生き物でもあります。変化を受け入れることは苦手なくせに、自分自身は変わらなければならないと思っている節があるということです。今のままでは生き残っていけないと本能的に変わろうとすることもあれば、楽な方向に流れようとして変わってしまうことも多々あります。結論を言うと、私たちは少しずつ成長することで変わっていかなければいけませんが、絶対に変えてはいけないこともあるのです。何を変えるべきで、何を変えてはいけないのか、その見極めは難しい。だからこそ、変えること、変わらないこと、どちらも大事であると意識しながら、生きていきたいと思います。