そっくりそのまま自分に返ってくる

昨年末、今年72歳で介護福祉士に合格された卒業生さんが、菓子折りを持って、遊びに来てくれました。あらかじめお電話をいただいていたので、一緒にランチをすることに。介護の現場のことやあと数年で定年になってしまうこと、亡くなった奥さまのこと、若かったときのことなど、近くのネパール料理屋で舌鼓を打ちながら話してくれました。私よりもウン十年も長く生きている大先輩が何を考え、何を思うのか、私は昔から年長者の話に耳を傾けることが好きでした。自分にとっては未知の領域だけに、最後は想像するしかないのですが、すでに経験をされている人たちの言葉には重みがありますよね。

 

「40ぐらいから、あっという間だったな。若い頃は、何だよジジイって思っていたけど、今は自分がそのジジイになっちゃった(笑)」と彼は軽快につぶやきました。保坂和志さんという作家による、「三十歳までなんか生きるなと思っていた」というエッセイがあります。若い頃は心のどこかで年長者を拒絶する自分がいて、自分はあんな大人にはなりたくないと思っていたけれど、いつの間にか自分も当たり前に30歳を超えてそんな大人になっていた。しかし最後には、「歳をとってみっともない姿になって生きていることを「凄いんじゃないか」と、いよいよ自覚的に考えるようになった」とも保坂さんは書きました。

 

若いときには若いときの、年を重ねたら重ねたときの、それぞれの想いがあるのだと思います。人間誰しもが、半ばで息絶えない限り、どちらの気持ちも体験するのです。過去と現在、そして未来はつながっていて、ぐるぐると回っている。他人の現在であって、自分の未来ではないと思っていたものが、いつのまにか自分の未来となり現在となる。自分はいつまでも子どもだと思っているのは難しく、気がつくとあなたは老人ですと言われている。自分よりも未来を生きている年長者と話すと、輪廻転生というと大げさですが、自分も他者の人生も巡りめぐっていることを肌で感じることができるのです。

 

そんな中で直感するのは、自分が今、年長者に対して行っていることは、自分がそうされる未来であるということ。つまり、年長者を尊敬すれば、自分が年長者になったときにもそうされる。その逆もまた然り。年長者をぞんざいに扱っておいて、自分が年長者になったときに丁寧に接してもらえると思うのはあまりに勝手です。今目の前にいる年長者は未来の自分であり、自分がどうしてもらいたいかを決めるのは実は自分だということです。

 

 

自分がしていることは、そっくりそのまま自分に返ってくる。そう考えると、高齢者の介護に携わる私たちの役割は大きいですね。あなたが今している介護が、あなたが高齢者になったときに受ける介護です。自分がそうしてもらいたいと思うように、私たちは振舞わなければいけないのです。