「学校に行きたくない君へ」

「学校に行きたくないという子どもに対して何を伝えるか」をテーマとして、「不登校新聞」を制作・発行している人たちが、自分の会いたい人に会いに行って聞いたインタビュー集です。基本的には、行きたくないなら行かなくてもいいし、あなたが考えているほど学校に行かないことは問題ではないから心配しなくていいよというメッセージが詰まっています。学校という空間や時間の外には、子どもの頃には想像もつかなかった広大な世界が広がっていることを、著名人たちがそれぞれの体験を通して語ってくれています。個人的には、樹木希林さんの「誰かのことを嫌だと思っても、それは自分にとって難がある存在として受け入れてみてもらいたい」という考え方は奥が深く、また西原理恵子さんの「理想よりも明日の飯を食うことに一生懸命になった方がいい」という現実志向は清々しく感じられました。

 

私は学校に行くか行かないかという選択に悩んだことはありません。学校が好きだったわけではなく、決して常に人間関係が良好だったわけでもありません。多かれ少なかれいじめられたこともあれば、授業が退屈だったり、部活に行くのが辛かったことも数えきれないほどありました。それでも不思議と、学校に行かないという発想には至らなかったのです。当時の私にとっては、学校に行かないという選択肢すらなかったのでしょう。それに比べると、学校に行かない選択肢があることは良いことです。大人になって、ずっと同じ会社で一生を過ごす時代ではなく、転職も当たり前になったように、置かれた場所で咲けない場合は、別の可能性を探してみるのも大切なことですね。

 

学校に行かなかった期間は、あとから見ると最高の学びの時間になると思います。どこにも所属せず、自分自身と向き合った日々は、私たちの人生に奥行きと彩りを与えてくれます。日本人は履歴書に空白があることを極度に恐れ、どこかに所属して、何らかの身分や立場を与えられていないと不安で生きていけません。学生でもなく、定職に就いてもおらず、家庭を持っているわけでもない孤独な状態ほど、心細く自信がなくて、だからこそ時間を忘れて必死に学ぶ時代になるのです。そういう貴重な時間を得られるという意味においては、学校に行かずに学ぶという選択肢は大賛成です。

 

 

とはいえ、もし自分の子どもが「学校に行きたくない」と言ってきたとしたら、なるべく行ってもらいたいと願い、その方向で話をすると思います。それが親としての本音です。それは体面上ということではなく、自分がそうしてきたからというわけでもありません。なぜ子どもがそう思うのか詳しく話を聞きたいですし、相談にも乗りたいし、何らかの助けになれたらと思います。むしろレールから外れる選択をするのは賛成こそすれ、反対する理由はありません。それでも最終的には、学校に行くという選択をしてもらいたいのはなぜでしょうか。レールから外れることを怖れているのは、子どもよりもむしろ親なのかもしれません。親心は裏腹ですね。