差別や偏見はなぜ生まれるのか?

コロナ禍中、アメリカでは人種差別に対するデモが起こりました。平和な日本人の感覚からすると、「3密になって大丈夫なのかな?」、「何でそんなに怒っているのかな?」と思われるかもしれませんが、彼ら彼女らは人間が生きる上で最も大切な尊厳や人権のために立ち上がっているのだと思います。最近は過激になりすぎたり、政治活動にすり替えられてしまった感は否めませんが、最初は人間の尊厳や人権を守るために、行き過ぎた差別や偏見、そして暴力(物理的なものから言葉によるものまで)は許しておけないということだったのでしょう。日本では欧米のような目に見える差別や偏見に遭遇することが少ないため、私たちはかなり鈍感になっていますし、だからこそ差別や偏見を自分の中に無自覚的に有しているにもかかわらず、見逃してしまっているはずです。目に見えない内なる差別や偏見です。

 

実は今回のコロナ騒動と、差別や偏見の問題は根底でつながっています。現在の状況において、過剰に感染症対策をしてみたり、他者にもそれを求める方々は、最終的には差別や偏見を助長し、それに加担してしまう人たちです。それとこれは違うと思われるかもしれませんが、実は同じ線の上にあって、地つながりなのです。そう考えると、周りを見渡してみても、ほとんどの人たちは、自覚的にせよ無自覚的にせよ、誰かに偏見を持って差別してしまうということになりますね。私たち人間は、自分の内にそういう傾向があることに自覚的でなければいけません。

 

もう少し分かりやすく説明すると、差別や偏見とは、自分に危害を及ぼす恐れのある他者に対して抱くものです。他者(それが人間であろうとなかろうと)が自分にとって危険だと感じるからこそ、遠ざけようとする意識が強く働き、相手を避けたり、隔離したり、排除したり、迫害したり、根絶したりするのです。それはドイツナチスのユダヤ人の迫害などが典型的な例ですし、日本でもハンセン病や結核患者など、今から振り返ると恐ろしいほどの偏見と差別がまかり通ってきた歴史があります。それらの第一歩は、すべて未知の存在に対する恐怖心から始まっています。

 

これは人から聞いた話ですが、アメリカに住む黒人は、白人コミュニティに入る際には自分が危険な人間ではないことを知ってもらえるようアピールすることを心がけるそうです。たとえば、自分は大学に通っていることを会話の中に織り込むことによって、この黒人は安心な黒人だと示すというように。私もアメリカに留学していたときは、正直に告白すると、どうしても繁華街ですれ違う黒人の人たちに対して、最初は恐怖心を感じていました。生活していく中で、実際に黒人の方々と触れ合う機会も増えるにつれ、少しずつ怖さは薄れていくのですが、日本にいる時はないと思っていた偏見や差別は私の内にもあったのです。

 

見知らぬものに対する恐怖心は人間の本能ですから、ある程度は仕方ないものです。しかし、その恐怖心にそのまま反応してしまうと、自分の安全・安心を守るという錦の元、何の悪気もないまま他者に偏見を持ち、差別してしまうことにつながります。ここまで書いてきても、病気に対する対策と人間に対する差別は違うと考える方もいるかもしれませんが、残念ながら根っこは同じなのです。もし違いがあるとすれば、新型コロナウイルスは(マスメディアの影響で)身近にあるように思えるのに対し、たとえば黒人の方々は身の回りにいないだけです。見知らぬもの対する差別や偏見は人間であればある程度は仕方ないものですが、大切なのは内なる差別や偏見が自分にもあると知ることです。まずはそこからです。

 

どうすれば差別や偏見をなくせるかというと、相手を知り、勇気を持って近づくことです。「無知を恐怖で焚き付ければ、ヘイト(憎しみ)が生まれる」と言われますので、まずは対象や他者のことを良く知ることから始めなければいけません。本を読んだり、誰からから話を聞いたりして、きちんと知識を知ることです。テレビやネットニュースばかり見ていたり、自分好みの話題をスマホで流し読みするのではなく、正しい情報を持って自分で考えてみることです。そうすることで、あなたの内にあった差別や偏見は少しずつ溶けていくはずです。その状態こそが、教養があるということです。

 

もうひとつは恐怖心を克服して、対象に対して近づいてみることです。そうすることで、今まで自分が勝手に抱いていたイメージが思い込みであることに気づくはずです。そして今までの自分を恥じるはずです。最も効果的な方法であるものの、さすがに怖いという方もいるかもしれませんが、実はどれだけ知識があっても、相手に近づいて、話してみたり、触れてみたり、体験してみないと分からないことの方が多いです。つまり、知識だけあっても勇気がなければいけませんし、どちらかが欠けてしまうと、差別も偏見も克服できないということです。

 

 

介護や福祉にたずさわる私たちは、最も差別や偏見と向き合わなければならない対人援助職であり、だからこそ一般の人たちと比べても、より一層の教養と勇気を持たなければならないのです。