エッセンシャルワーカー

9月短期クラスが無事に修了しました。先生方からは教えやすいという声が上がっていたように、学ぶことに熱心で、積極的なクラスでした。生徒さんが意欲的であると、やはり私たちも教え甲斐もありますし、相乗効果でクラス全体が盛り上がっていきます。そのような雰囲気の中で学ぶと、介護の世界の素晴らしさが伝わりやすくなるのではないでしょうか。介護職員初任者研修を受ける前は、介護の仕事をできるか自信がない、自分に合っているかどうか分からないと不安に感じていた方も、研修が修了する頃には、自分にもできるかもしれない、やってみたいと思えるはずです。それは先生方だけの力だけではなく、生徒さん同士がつくりだした気持ちの集合体です。自分たちの環境や仕事を良くするも悪くするも、結局は自分たち次第ということですね。

生徒さんのひとりに、NHKの契約の仕事をしている生徒さんがいました。NHKの料金支払いの契約をしていない家に赴き、契約をお願いする仕事だそうです。「文句やきつい言葉を言われない日はない」と彼は言います。そもそもNHKを見ていないので料金を支払いたくない(支払わない)と思っている家庭を訪問して、何とか月額2000円以上の料金を徴収する契約を結ばせようとするのですから、露骨に嫌な顔をされたり、抵抗されるのはもちろん、罵詈雑言を浴びるのは日常茶飯事の仕事です。

 

個人的には、NHKのドラマや教育番組はクオリティが高いと思いますが、最近のニュース番組などにおける明らかな偏向報道を目にすると、とても公共放送とは思えませんし、料金を払ってまで見たいとは思えなくなりました。スクランブル放送にして、観たい人は料金を払って観るようにするか、観たい番組だけを課金して観るようにすれば良いと思います。そうすれば、契約させられる人も契約を促す仕事もなくなり、わざわざお互いに嫌な思いをすることもなくなるでしょう。そう、彼はそのような仕事に嫌気が差し、人に感謝される仕事をしたいと思って、介護の世界に来てくれたのです。

 

デヴィッド・グレーバー氏によって提唱された、ブルシットジョブ(bull shit job)という概念があります。直訳すると汚いので(笑)分かりやすく訳すと、「クソどうでも良い仕事」ということになります。完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用形態のことを言います。その仕事をしている本人でさえ、誰の役に立っているのか分からず、やりがいを全く感じられない仕事が近代では増殖しているという指摘です。問題なのは、こうしたブルシットジョブに就いている人たち自身が、無意味でくだらないと思いながらも働き続けざるを得ないということです。

 

ブルシットジョブの反対にあるのが、エッセンシャルワーカーです(イギリスではキーワーカーと呼ばれるそうです)。看護師や介護士、バスの運転手やスーパーやコンビニの店員、ごみ収集員など、誰かがその仕事をしなければ社会が機能しなくなってしまう、いなくなっては困る人たち。正直に言うと、コロナ騒動でエッセンシャルワーカーが表舞台に登場し、感謝され、褒めたたえられた時は何か気持ち悪い気がしました。拍手を送ってくれた彼ら彼女らの気持ちはありがたいのですが、なぜ今になって急に?と考えたとき、今まではエッセンシャルワーカーの仕事になど見向きもせず、感謝の気持ちなどなかったことの裏返しなのではと気付いてしまったからです。穿った見かたをしすぎでしょうか…。

 

いずれにしても、エッセンシャルワーカーの問題は、ブルシットジョブに比べて意外にも賃金が低いということです。なくなっては困る仕事にもかかわらず、なぜか賃金は低く抑えられているというアンバランスです。おそらくこれから少しずつ、この問題は解決していくでしょう。今回のコロナ騒動の影響を受け、世界中からブルシットジョブが急速になくなっていき、エッセンシャルな仕事をする人が増えるはず。

 

 

その流れの中で、今まではブルシットジョブに流れていたお金の流れが変わり、エッセンシャルワーカーはやりがいと感謝の言葉だけではなく、それに見合う対価や報酬も要求するようになるからです。コロナ騒動はブルシットジョブだけではなく、不要不急の名目のもと文化的な仕事も奪い去ってしまいましたが、もしひとつ良かった点があるとすれば、私たちがエッセンシャルな仕事へと回帰しなければなくなったことでしょうか。長い目で見て、それが人々の幸せにつながることを願います。