「もはや老人はいらない!」

個人的にはとても面白く読んだのですが、介護の現場にいる人たちやこれから介護の世界に入って来ようとしている人たち、ましてや一般の人々には決して読んでもらいたくないと思う本です。それは半ば冗談ですが、それほどに現代の介護の世界の現実と闇が描かれているのです。前半部分は高齢者介護の実態を、後半部分は介護業界における経営や制度について、リアルな声で語ってくれています。私は立場上、後半部分を特に興味深く読みましたが、本全体としても1冊の告発本としての力作に仕上がっています。でも繰り返しになりますが、あまり手に取ってもらいたくはない本です(笑)。

 

副題にもあるように、今の時代の流れとして、長生きが喜ばれない介護社会への問題提起がされています。安楽死が手放しで美化され、介護支援から予防介護に重心が移り、いつまでも元気で働くことができ、役に立つ高齢者でなければ生きている価値がないと言わんばかりの世の中になってきつつあるということです。安楽死については、石飛幸三先生の提唱される尊厳死に代表されるように、自分の力で食べられなくなってしまったらそれで終わりにした方が良いという考え方には、僕も基本的には大賛成ですが、著者はそれでも生きたいと思ってもいいし、そう言いづらい風潮になっていると主張します。

 

本人が選択することができれば良いのでしょうが、そうもいかないケースも多いですし、私も昨年祖母を亡くしたときに家族だけではなく介護者の想いも大きく影響を与えることを学びました。また今は安楽死を望んでいても、死ぬ間際になれば生きることを望むかもしれず、絶対的な選択も正解もないから難しいのだと思います。時代の風潮として、私たちはただ生きていることを望まれなくなっているし、これからはその傾向はさらに加速することを著者は危惧しているのです。

 

本論は、介護施設で働く人の問題や介護保険制度の危うさです。月並みかもしれませんが、耳が痛いという表現がぴったりくるような内容ばかりです。介護と医療の世界における人材の違いについて、そもそもモチベーションが違うというのはその通りですし、介護職員の給与は決して安くないという論も頷くしかありません。特に介護人材の質については、ホーム長としての経験を踏まえて、補助金を出して急造した(いわゆる職業訓練のこと)介護職員のモチベーションの低さが離職率の高さに大きな影響を与えていると指摘しています。私もほとんど全ての補助金は無駄であり、かえって人間や社会の生きる力を奪ってしまうと考えていますので、諸手を挙げて賛成します。さらに医療保険制度と同じような考え方で運用されるのであれば、介護保険制度自体が要らないのではという、極論に見える提案にも、一理も二理もあると思います。間に入りすぎて、余計なことばかりするから、市場の原理が働かなくなってしまっているのではないでしょうか。

 

介護業界の問題点ばかりを炙り出しているように見える本書にも、わずかに希望というべきか温かさが垣間見える箇所があります。それは「介護職員がやる気を取り戻すには」というテーマにおける以下のような叙述です。

 

介護職員がやる気を取り戻すためには、彼らの領域の中で仕事に専念させることが重要であり、その仕事とは「生活自体を支える仕事」、まさに日常生活全般に対する支援業務だと思います。日常生活の支援なので、そこには成果も糞もありません。あるのは「笑い」や「涙」、「怒り声」などの喜怒哀楽です。この喜怒哀楽に対し介護報酬を与えるべきなのですが、なかなか実務的には難しいのかもしれません。

 

 

やはり介護の本質は日常生活の支援であり、そのやり取りの中で、リハビリになることがあるかもしれないし、予防になることもできるかもしれないし、もしかするとできないかもしれない。藤田先生が「介護者の接し方や声掛けひとつが治療にもなる」とおっしゃるのはそういうことでもあるのですが、なかなか成果が見えにくいですよね。成果が査定しにくいものを制度としてしまうと行き詰って当然ですし、もし医療と同様に成果を求めるのであれば、医療と介護を別々にするのではなくまとめてしまった方が良い。介護の世界で生きる私たちが避けては通れない、よくよく考えていかなければならない本質的な問題ですね。