命という名の時間の奪い合い

昨年、公開されて世界中で大ヒットとなった映画「TENET(テネット)」は、時間は過去から現在、そして未来に向かってのみ流れるのではなく、未来から現在へと逆行できるという設定が斬新でした。臨場感のあるサウンドが全身に響き渡り、最初から最後までハラハラドキドキ、全身の血管が脈打つような作品でした。

 

 

ストーリーとしては、地球が滅亡するという未来において、行き場を失ってしまった未来軍と現在軍の時間を巡る戦いが生じます。未来軍は時間を逆行しながら、現在軍は時間を順行しながら、時間を奪い合うのです。映画の中では、未来軍は時間を逆行しなければならない分、かなりの不利を強いられることになりますが、それでも未来を変えるためには過去を変えねばならず、現在軍を押し返さなければならないのです。私がふと思うのは、この映画の中で行われていた未来軍と現在軍の争いは、今のコロナ騒動における高齢者と若者との関係性にそっくりだということです。

 

この話をする前に、「時間は命である」ということを明確にしておきたいと思います。この概念は、聖路加病院の日野原重明先生に教えてもらいました。日野原先生は90歳を過ぎた頃から10代の子どもたちに対していのちの授業を行い、「心臓は生きるために必要だけど、そこに命があるわけじゃない。これから一番、大切なことを言います。命とは、人間が持っている時間のことです」、「これからはだれかのために時間を使ってください」と語りかけたそうです。命とは人間が持っている時間であるという感覚は、若い人たちには分かりにくいと思いますが、人生が残り少ないと知れば知るほど、命とは時間である、時間とは命であると理解できるのでしょう。つまり、自分に与えられた時間(命)をどう使うかが大切なのだと、日野原先生は伝えたかったのです。

 

今、コロナ禍で起こっていることは、命という名の時間の奪い合いです。高齢者は自分たちの命を守るため、働き盛りの世代の生活や経済を縮小し、ステイホームすることを求め、さらに若い学生や子どもたちの通う学校を休校し、部活や遊びを止めさせることを強いています。もちろん、そうではない高齢者もいると思いますが、現実を見渡す限りにおいて、高齢者軍の総意としてはそういうことです。かけがえのない1年という時間(命)を若者軍から奪い、さらにこの先も同じことが続くでしょう。高齢者軍は本来であればだれかのために使うべき時間(命)を自分たちのために使い、無意識のうちに若者たちの命(時間)を奪ってしまっているのです。時間は命であるという感覚に乏しい若者軍は自分たちの命が奪われていることに無自覚であり、対する高齢者軍は命懸け、かつ人数が多いため、政治的にも圧倒的に有利です。若者軍に今のところ勝ち目はありません。

 

あえて命を奪うという過激な表現を用いましたが、高齢者軍が若者軍と真っ向勝負で、世代間対立をしてしまうと、時間(命)を奪い合うしかありません。この問題の解決策はなかなか考えつきませんが、まずは若者軍が自分たちの命(時間)が奪われていることを自覚すべきです。自覚しなければ、知らぬうちにあなたの時間(命)は誰かによって浪費され、乏しいものになっていくことでしょう。本来はもっと広く素晴らしい世界が見えたはずなのに、夢や希望さえも抱くことが難しくなってしまうのではないでしょうか。待っていても誰も与えてくれません。反抗して、自分から行動しなければ、この先ずっと、制限された人生を歩むことになりますが、それでよいのでしょうか?

 

もうひとつは、高齢者軍が少し冷静になることです。NHKなどのテレビやヤフーニュースばかり見ていないで、あらゆる角度からの情報や見識を集めたり、街に出て、世界をよく見てみることです。本当に新型コロナウイルスはあなたたちの命を奪うような致命的なウイルスでしょうか?本当に新型コロナウイルスは誰かと食事をしただけで感染するような感染力の強いウイルスでしょうか?本当にPCR検査や抗原抗体検査は感染者を正確に診断しているのでしょうか?本当に新型コロナウイルスが体内で増殖したことによって亡くなった方はいるのでしょうか?一度、異なったベクトルの視点から見てみてください。そうすることで、あなた方の進むべき方向は若者たちの時間(命)を奪う方向ではなく、若者たちと共に歩む方向だと分かるのではないでしょうか。このまま対立を進めても、高齢者は外にもなかなか出られず、子どもや孫たちにもほとんど会えず、死ぬまでマスクをして、最後は孤独に亡くなることを選択しますか?共に進んだとしても、あなたたちの命(時間)は失われることはありません。むしろお互いの時間も命もより豊かになるはずです。