大きな変化の時代を生きている

私たちは今、最も大きな変化の時代に生きています。明治維新や太平洋戦争を経験した世代であれば、その前後は激動の時代に感じたはずですが、今生きている私たちのほとんどは、そうした大きな変化を知りません。今日の日常が明日も続くのが当たり前だと思って生きてきたはずです。そもそも歴史を振り返ってみると、私たち人類は小さな変化から大きな変化までを繰り返し経験してきました。世の中がずっと同じであるわけありませんし、良くも悪くも、今回のコロナ騒動をきっかけとして、私たちの日常生活や社会の構造は大きく変わっていくはずです。「コロナが収束したら…」といまだに言う人がいますが、そんなことを言っている間に社会は大きく変わってしまい、もう二度と元には戻らないと知っておくべきなのです。

今起こっている変化は目に見えにくいのですが、知らなかったでは取り残されてしまいますし、どこまでの変化を受け入れ、どこからはNOと言うかは私たち次第です。大きな変化には抗えないとしても、最終的な私たちの未来は私たち自身の行動にかかっているのです。大切なことなのでもう一度言いますね。大きな流れには抗えなくても、私たちがどこまでを許容し、どこからは受け入れないかによって、未来の社会の姿は変わってきます。そういう意味では、日本の未来は私たちの今の行動がつくるのです。

 

もう少し具体的な話をすると、今、いわゆる新しい生活様式が定着しつつあります。できる限り人と会うことなく、リモートで用を足すことが日常になります。家族以外の他者と一緒に食事をしたり、面と向かって話す機会は限りなく少なくなります。人と人は肉体的なソーシャルディスタンスを保ち、なるべく近づかない、もちろん他人と触れ合うなんてことは滅多にありません。今まで会ったことのない人たちと出会う機会は激減し、今まで会っていた人たちとも疎遠になったり、考え方の違いから分断されてしまうかもしれません。

 

イベントや行事は中止または休止状態になり、帰省した子どもや孫と会うことも困難になるでしょう。孫の顔を見られるのはLINE電話だけです。介護の世界でも非接触化や機械化(オートメーション化)が進むはずです。施設に入ると家族となかなか会えなくなるため、在宅介護のニーズが高まりを見せるはずです。

 

移動には物理的、経済的、心理的な制限が加わります。それによって国外旅行する人は激減するでしょうし、県をまたぐような国内の旅行もはばかられるはずです。つまり、できるだけ家にいて大人しくしているということです。移動の自由だけではなく、身体的にも自由を制限されます。家族以外の人と話すときはマスクを着けて、家から一歩外に出るとマスク着用がマナーとされます。ワクチンは年間で複数回、毎年打たなければいけません。まるでiPhoneのように、毎年のように変異したウイルスに対しての新作ワクチンが登場するでしょう(笑)。人が生きる上で最も大切な移動の自由と身体の自由が制限され、私たちは少しずつ人権を手放していかざるを得ません。かつては介護施設の利用者さんたちが失っていたものを、私たちは若いうちから追体験するのです。

 

経済的には産業構造も変わります。いわゆるサービス業と呼ばれる仕事がほとんどなくなるでしょう。飲食業をはじめとして、夜の街の仕事、観光業など。教育サービスも、大学などを筆頭にして大きく形が変わるはずです。また、イベント業やエンターテイメント産業も縮小・撤退せざるをえません。アーティストたちは主にインターネットやテレビの中に主に棲息し、リアルとしての存在理由を失ってしまいます。最近まで流行っていた体験型のサービスもVR(バーチャルリアリティー)に置き換わります。

 

それに対して、医療・製薬関連の会社は検査やワクチンを商品として隆盛を極めます。今よりもさらに大きな業界になり、力を持ちます。そしてそれを支える医師や看護師はエッセンシャルワーカーとして最前線に立つ仕事として称賛されます。すでにそういう風潮がつくられていますよね。医療職ほどではないにしても、介護職もエッセンシャルワーカーとして、給与のベースアップが計られることを期待して良いと思います(これは決して悪いことではありません)。ただしそれは他の産業で働いていた人たちの仕事がごっそりと奪われた犠牲の上に成り立つ、医療・公衆衛生ファシズムのおこぼれにすぎません。ほんとうは、介護の仕事の専門性が認められ、私たちもスキルアップしたことで利用者さんや家族を幸せにした対価としての報酬が増えると良いのですが。

 

政治は国や都道府県の力が強く、市民の力は総体的に弱くなります。公衆衛生を盾にすると、市民を超法規的に支配したり、身体的に(ロックダウンしたり)、経済的に(給付金漬けにしたり)、精神的に(恐怖をあおったりして)コントロールすることが可能になります。生かすも殺すも権力次第ということになります。権力といっても抽象的ですが、世の中を思い通りにコントロールしたいと願う人たちは一定数いるものです。営業時間を短縮したり、お酒を禁じたりと、営業の自由さえも理不尽に奪うことができます。

 

大手メディア(テレビや新聞)やその傘下のソーシャルメディア(Yahoo!ニュースなど)はその流れに乗って偏向報道を繰り返し、それに反する思想や考え方やデータをデマや陰謀論とくさすことで情報統制し、言論の自由を奪い取ります。SNS上の検閲も厳しくなるでしょう。常識的なほとんどの人々にとって、明らかにおかしいことがまかり通って、何が正しいのか分からない状況が生じるはずです。最終的には、私たちの自由を守る憲法さえも変えられるかもしれません。まさによく例に挙げられるジョージ・オーウェルの「1984」の世界ですね。

 

思いつく変化をつらつらと綴ってみましたが、これ以外にも、私たちの世界は大きく変わっていくことでしょう。私には何ひとつとして良い意味の変化が見当たりません。あえて述べるとすれば、世界中の人々の移動が制限されることで、環境に対する負荷が下がることぐらいでしょうか。変化の方向性自体を変えることはできませんが、大切なのはどこからは譲れないラインとしてNOと言うかです。抵抗することなく受け入れてしまうと、行き着くところまで行ってしまいます。

 

たとえば私たち日本はマスク生活を自ら受け入れてしまったので、一生マスクを着けて生きて行くことになりました。私たちだけではなく、子どもたちも、これからずっと。そういう未来を自分たちで選んだということです。それを望まなかった国はすでにマスクは外しています。小さなことから大きなことまで、どういう変化を受け入れ、また逆に拒否・抵抗して押し戻したかで、子どもたちにとっての社会の未来の形が変わってくるのです。それが変化の時代であり、その過渡期に生きる私たちは重要な役割を担っているのです。

 

ワクチンパスポートはどうでしょうか?リモートワークは?お酒の提供禁止は?他人事だと思っているといつの間にか自分の身に降りかかってくるからお気をつけください。大きな変化の時代であっても、最後に自分の人生や生き方を決めるのは自分自身です。自由をどこまで手放すかは、あなた自身にかかっているのです。