「リタイア、そしてアラスカ」

「本を出版しました」と卒業生の井上きよしさんから知らせを受け、さっそく買って読んでみました。卒業生さんが著したからということもありますが、それ以上にタイトルや内容に惹かれたからです。実は、私にとっての最大の夢(目標)は、「アラスカにオーロラを見に行く」こと。大好きな冒険家であり写真家である星野道夫さんのオーロラの写真を見て以来、寒いところは苦手なのに、なぜか不思議といつまでもアラスカに行ってこの目でオーロラを見てみたいと想い続けているのです。しかも私も塾で働いていたことがあり、英語が好きだったので、井上さんの経歴は他人とは思えません(笑)。

井上さんが湘南ケアカレッジに来てくれたのは2019年11月のことですから、この冒険記はちょうどその前の旅路について記されたものです。たしか介護職員初任者研修が修了した後の打ち上げにて、井上さんから長年経営された塾を畳んで旅に出た話は聞いた記憶はありますが、ここまでのものとは思いも寄りませんでした。ホームステイしながらカナダの語学スクールに通い、アメリカそしてアラスカへと旅をしながら、井上さんが見たこと、話したこと、感じたことを、私も読みながら追体験しました。日本から外に出たことで見えてきた、死生観や介護の問題などについても書かれています。

 

やはりカナダにおいても、高齢者の介護の問題は当然のことながらあるようです。井上さんがホームステイした先のアランじいさんは少し認知症が進み始めており、娘さんのキャリアナは心配して病院に通わせたり薬を飲ませたりすることや、ナーシングホームに入れることも考えているが、アランじいさんは断固として拒否するという、世界中の家族内で起こっている問題です。井上さんは自分の母親の最後の日々と重ねつつ、ユマニチュードという考え方に出会い、こう記しています。

 

「自分の母親についてあてはめてみると、私は老いていく母親のことより、介護する、と言ったって大したことはできていなかったのだが、やる側の自分のことばかり考えていた。もっと母親の声に耳を傾けてあげるべきだった。老いていく我が身と対峙し、信仰にすがり信仰を見失いかけた母親の気持ちの近くに、私はいなければいけなかった」

 

また、日本が失ったものとして、誰もが自然とジェントルマンシップを示すことができることを挙げています。カナダのビクトリアでバスに乗ると、ほとんどの人がドライバーに「Thank you」と言うそうです。大人はもちろん、生意気盛りの中学生も高校生も、ヤンキーもヒッピーも、タトゥーが腕にびっしり入った革ジャンのモヒカン兄ちゃんも自然に「Thank you」。そして、車いすの人やお年寄りがバスに乗ってくると、パッと立って自然と席を譲る。この自然な感じが大切で、決して特別なことをしているという意識はなく、譲られる方も特別と感じていない。席を譲ろうとして断られたらどうしようとか、この状況は自分が席を譲るべきなのかなと周りを伺うような雰囲気がないということですね。

 

「ビクトリアのバスは、がたがた道を走っている。それに引き替え日本では、手入れの生き届いたピカピカのバスが、きっちり時間通りに、放送による案内を流しながら、無表情で走っている。乗り物の席だけではなく、学校でも、会社でも、いや社会全体が過度な効率優先主義と競争原理に貫かれ、それを疑問に思わない人間が溢れかえっている。「権利」と「義務」という2つの言葉が投げ散らかされ、それを掃除する人すらいない」

 

 

井上さんの言いたいことは良く分かります。カナダも都心部に行くと、日本と同じような効率優先主義と競争原理があるとは思いますが、日本という国はそうしたものを煎じ詰めた国だと思います(いや韓国の方がもっと煮詰まっているかな)。そこで生きている人たちにとっては普通なのですが、実は普通ではなく、どちらかというと異常なのです。日本の人たちも韓国の人たちも本来は優しいし親切なのですが、ここ数十年の間にあらゆることが表面的になり、いつの間にか他者との距離が離れ、私たちは見事に分断されてしまったのです。正直に言うと、こうした社会の中では自分のことばかりで、井上さんのいう耳を傾ける介護、近くにいる介護はなかなか難しいのではと考えてしまいます。少なくとも湘南ケアカレッジの中では、私の手の届く範囲においては、寛容な社会をつくっていきたいと思っていますし、ケアカレの卒業生さんにもそれが伝わると嬉しいです。